「よぉ、吉羅。ちょっくら邪魔してるぜ」
「………一体何をしているんですか、金澤さん」
「しょうがねぇだろう。ここが1番近かったんだから…」
「だからといって、ひと言連絡ぐらい…」
「そんな暇…なかったんだ」
緊急時に…と渡していた合鍵を使って部屋の中へ入ったという彼の腕の中には、彼が今…一番大切にしているであろう女性の姿。
何を言っても無駄と判断し、とりあえずコートを脱いでハンガーにかける。
「全く…いくら緊急時用とはいえ、貴方に合鍵を預けるんじゃありませんでした」
「いやいや、理解ある後輩を持って俺は幸せもんだ、わはは」
全く…わざと明るく言っているつもりなんでしょうけど、目が笑っていませんよ…金澤さん。
「何か飲みますか?」
「…いや、今はいい」
「そうですか」
そのまま無言でキッチンへ向かい、コーヒーメーカーを取り出す。
挽き立ての豆を入れ、水を入れてスイッチを押せば、あとは自動的に抽出される。
…普段であれば、サイフォンを使用するが、今はこの方がいいだろう。
彼らが座っているソファーとは別の椅子に腰を下ろすと、心配そうに彼女を見つめている金澤さんに声をかける。
「それで…今回はどうしたんです」
「ん?」
「場所を提供しているんです。それぐらい、教えてくれてもいいんじゃありませんか?」
詳しく話を聞くつもりはない。
ただ、何があったのか…だけでも、教えて貰わねば対処が出来ない。
こんな不安げな顔をした金澤さんなんて、久しく見ていないのだから。
「ま、あれだ…」
「……」
「ちっとばかり、びびって…心細くなったんだろう」
「私は金澤さんほど彼女と交流がないので、そんな説明ではわかりかねます」
「それでいいのさ」
今までピクリとも動かなかった彼の手が、触れると溶ける淡雪にでも触れるように優しく彼女の頬を撫でた。
「お前さんまでコイツを理解しちまったら…俺なんか用済みになっちまう」
「そんな心にも思ってもない事を良く言いますね」
「全く思ってないってんなら…口になんざしないさ」
――― 不安 ―――
彼女に何があったかわからないが…弱っている彼女につられて、貴方まで揺らいでどうするんです。
けれど、その気持ちも…わからなくはない。
一度知ってしまった痛みを持つ者は、ちょっとした事にも臆病になる。
それでも貴方は、彼女と共にいる事を選んだ。
一歩進む事を、選んだ。
「……ん…」
「起きたか、」
「…あれ、あたし…」
「泣き疲れて寝ちまったんだ…」
「うわっ、ご、ごめん…重かったでしょ」
「吉羅ん所のソファーは柔らかいからな、痺れとらんから安心しろ」
「…へ?吉羅さんとこ…」
「おはよう、くん」
「………ほ、ほぇーーーー!?」
私の顔を見るなり悲鳴をあげるクセは、いい加減止めて欲しいのだが…いつになったら、慣れてくれるのか。
「え?え?なんで、あたし!?」
「お前さん、覚えてないのか?俺の顔見た途端泣き出して、そのまま外にいるわけにいかんから緊急避難所…つまり、吉羅の家に転がり込んだんだ」
「おっ…覚えてないっ!覚えてない!!」
「…緊急避難所だと言うのなら、本当に緊急時だけにして下さいね」
「おぉ、安心しろ。いちゃつく時には別の場所に行く」
「今すぐ合鍵を返して下さい」
「おいおい、そうしたら理事長様に何かあった時、誰がここに来るんだ」
「貴方の私用に使われるぐらいなら、ひとりの方がマシです」
「き、吉羅さんっ!あのっ、ご、ごめんなさい…あたしのせいで…」
申し訳なさそうな顔でこちらを見ている彼女を見て、また、金澤さんのペースに乗せられていた事に気付きため息をつく。
昔から…この人は、私のペースを乱すことが上手いんだ。
「君のせいじゃない」
「で、でも…」
「おっ、コーヒー出来たみたいだな。目覚めのコーヒー、飲むだろ?」
彼女の返事を聞く前に立ち上がった金澤さんは、慣れた様子で棚からカップを取り出して用意している。
「吉羅〜お前さんは、今日もブラックか?」
「………えぇ」
「全く、毎日忙しいってんなら多少ミルクでもいれてみろや。いつか胃にでっかい穴が開くぞ」
「そう思うんでしたら、少しは気遣いを見せてください」
「見せたろう。ミルクでも入れてみろってな」
そんな事を言いながら、器用にカップを3つ持った金澤さんがこちらへやって来た。
「ほれ、」
「あ、ありがとう」
「ほらよ、吉羅」
「……」
「…無視かよ」
「元は私が自分が飲む為に淹れたものです」
「ほほぉ〜ってぇと、なにか?お前はコーヒーを一気に3人分も飲むのか?」
「たまたまです」
「そーかそーか…良かったな、。吉羅がいいヤツで」
「…うん!!」
目の前に寄り添って微笑む二人。
私が帰って来た時には、まるでモノクロの世界に溶け込んでいたのに…片方が目覚めて微笑むだけで、あっという間に世界が広がり、全てが色づく。
「金澤さん」
「ん?」
「冷蔵庫に貰い物ですが、いい肉があります」
「…はぁ?」
「くん、その様子ではまだ食事もしていないだろう」
「え、あ、はい」
「金澤 先輩 が我々に食事を用意してくれるらしい」
「…お前、何言ってんだ」
苦虫を潰したような表情でこちらを見る金澤さんを無視し、その隣にいるくんへ声をかける。
「確か君はシャンパンなら飲めたね」
「あ、はい」
「ちょうどいい具合に冷えているシャンパンがある。軽いつまみを用意するから、飲みながら料理を待つとしよう」
「ちょっ、待て!だからなんで俺が…」
「ご馳走になります、金澤先輩」
真顔でそう告げれば、これ以上何を言っても無理だと判断したのか、大きくため息をついて立ち上がった。
「…おい、」
「なに?」
「何か食えるものあるか?」
「…え、と…金やんの作ったのなら、なんでも…」
「嬉しいこと言ってくれる…だが、今ならリクエスト受付中、だ」
「え、えっとじゃあ…ボンゴレ?」
「あいにくアサリはありませんので、必要なら買い物に行って下さい」
「この寒空の下にか?」
「私が帰宅する際にはみぞれになっていました」
「………だったらお前も来い!!」
突然背後から腕を回され、そのまま首を絞められる。
「…っ…どうして私までっ!」
「と2人きりにさせてたまるか!」
いい年をして、何を言っているんだ、この人は。
貴方の恋人と2人でいたからといって、何かあるなんてありえない。
けれど、恋という目に見えないモノに捕らわれている相手には、そんな常識は通用しない。
「ほれ、行くぞっ!」
「金澤さん…腕、離して下さい」
まるで高校時代、カフェへ引きずられていく時のような光景。
そんな私たちの様子を見ていたくんが…今日はじめて、声をあげて笑った。
「あはははははっ!」
「くん、見ていないで…なんとかしたまえ」
「、財布!財布寄こせ」
「あははははっ、お腹…お腹、痛っ…あははは」
それからが、またひと騒動だった。
ひとり留守番は寂しい…ということで、結局全員で買い物へ出かけた。
帰ってからは、シャンパンを飲みながら金澤さんがつまみと料理を作り…他愛無い話をしながら飲んでいれば、未開封のワインもひと瓶開けてしまった。
気づけば電車もなくなり…言うまでもなくゲストルームは、2人へ差し出すような形となった。
「やれやれ、結局宴会になっちまったな」
「…誰のせいです」
「ははっ、だがたまにはこういうのもよかろう。しかめっ面の野郎2人で顔つき合わせて飲むより」
「独り者には目に毒でもありましたよ」
「そりゃ悪かったな」
だが、その反面…
貴方が幸せそうな姿を見るのは…悪くありませんでしたよ、金澤先輩。
「さて、それでは私も休みます…おやすみな…」
「…暁彦」
突然名前を呼ばれ、戸惑いつつ視線を金澤さんへ向ける。
「…ありがとな」
それが何に対しての礼なのか、一瞬意味がわからなかった。
けれど…一足先に夢の世界へ向かっていた彼女を、そっと抱き上げた瞬間の彼の表情から…全てを悟る。
「私は朝食はいりませんが、コーヒーだけお願いします」
「…あぁ」
「ゆっくり…休んでください」
「サンキュ」
ぱたん…と、扉が閉まる音が聞こえ、部屋の中に静寂が戻ってくる。
彼は…彼女に、与えたかったのだ。
恋人と2人で過ごす甘い時ではなく
誰かと共に過ごす楽しさを…
そしてその時間は、私にとっても悪くない時間であった。
「…まったく、手のかかる2人だ」
明日は、天気が良ければ2人を送りがてらどこかへドライブへ行こうか。
後部座席は煩いかもしれないが、たまにはそれもいいかもしれない。
今日という日を、楽しませてくれた…大切な人たちへの、礼に
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