雑誌を見ているヒノエに近づき後ろに腰を下ろすと、何も言わずその背中に額をつけた。

「…どうしたんだい、姫君」

「ん、ちょっと」



あぁ、疲れた。

毎日同じ事の繰り返し。
その中で時折紛れ込む、突発的事項。
自分が望む仕事じゃない。
自分が進んで手にした仕事じゃない。
捨ててしまえばいい。
全て捨ててしまえば…楽になる。

でも、―――




「ねぇヒノエ」

「なんだい」

「ヒノエは、熊野が重いって思った事…ない?」

自分の肩にのしかかっているのは、自分の家族。
あたしより年下のヒノエには自分の家族以外にも部下、そしてその家族と沢山の命を目に見える形で背負っている。



幼い頃から決められた道、背負わされている物を…疎ましく思った事はないの?



「…おかしな事を聞くね」

「ごめん。ちょっと…おかしいかも」

「じゃぁ逆に聞くよ。姫君は愛している人間を重いと感じるかい?」

「え?」

「例えば…オレがこうして姫君の、いや、の家に転がり込んでいる事実は、お前にとって重荷かい?」

自分以外の人間が勝手に家にやって来て、勝手に帰る。
その人の分まで色々世話をして、お金を使って…普通に考えてみれば、それは随分と重荷なのかもしれない。



でも、今のあたしにとってヒノエの存在は…



…じゃない

「きちんと言葉にしてごらん」

「重荷、じゃ…ない」

「嬉しいね」

「…あれ、なんで?」

自分で自分が分からなくなって、思わず顔を上げる。
その隙にヒノエが身体を反転させて、そっとあたしの頬に片手を添えた。

「忙しい日々を送っていると、時に自分の気持ちが分からなくなる事がある。そんな時は、言葉にしてごらん」

「言葉…に?」

「そう。自分に大切なものは何か。なんの為に目の前の物事をこなしているのかってね」

「…ヒノエもそうしてるの?」

「さぁ、どうかな?」

いたずらっ子のような笑みで誤魔化されてる気もするけど、でも何となく今より幼い…頭領に就任したばかりのヒノエは、自室で横になりながらそれを口にしていた気がする。

「オレはね、昔から熊野を愛してるよ。恐らく熊野以上に愛せるものはない」

「そんな風に言い切れるのって凄いね」

「何度も自分に問いかけ、考え続けて導いた結論だからね。この想いは揺らぐ事はないし、変わる事もない」

「…そんな風に、なれるかな」

「なろうと思ってなれるもんじゃないよ」

「え?」

「気付いたら自然となってるものさ。オレが…お前に心惹かれたようにね」

チュッと音を立てて頬にキスされた瞬間、目の前にいたヒノエの姿が視界から消える。

「…」

「全く、口づけるたびこうなるのだけはいつまで経っても慣れないね」

「む、無闇にそういう事するのが問題なんだと思う」

「魅力的な姫君が目の前にいて、手を出すなっていう方が無理な問題だよ」

苦笑しながら小さくなったヒノエと目線を合わせる為、小さな身体を抱き上げてベッドに乗せる。

「ヒノエにそんな風に言って貰えて嬉しいよ」

「あれ、信用されてないみたいだね」

「だって、そんなに魅力的って思えないもん」

「自分を知らないってのは罪だね」

「…ヒノエの言葉の方が罪だよ」

赤くなった頬を隠すようベッドに顔を突っ伏したまま、さっきヒノエの言った言葉を考える。

「なんのために…か」

小さな声で呟いたはずがヒノエにも聞こえたらしく、小さな手が頭を撫でながら優しく声をかけてくれた。

「いつも“なんのため”に自分が動いているか考えてみな。そうすれば逃げ出したい事柄の先に光が見えるぜ」

「光?」

「そう。人間ってのは小さい生き物だからね。目の前の事柄が邪魔で、その先に待ってるはずの楽しいモノが普段は見えてないのさ。
だから“なんのため”に自分が動いてるのか考える事によって、その手段が見えてくる。手段が見えれば、事柄をこなすのなんてそう難しくはない。
そしてそれを超えれば…姫君にとっての楽しい事が待ってるよ」

「…そう、かな」

「あぁ」

「楽しい事、あるかな」

「…あぁ」

小さな手が、何度も何度も頭を撫でてくれている。
それが凄く、凄く温かくて…気持ちがいい。



「…なに」

「もう一度オレの玉に、口づけをくれないかい」

「…」

「こんな風に肩を震わせている姫君を抱きしめられないのは、辛いよ」

「…」

「今のオレに出来るのはこうして頭を撫でてやる事だけだからね」

「…」

「泣き顔を見られたくないなら、目を閉じるから」

そういうと頭に乗せられていた手の感覚がなくなった。
急に温かな物がなくなって、寂しくてゆっくり顔をあげると…言ったとおりキチンと目を閉じて待っているヒノエがいた。



ねぇ、甘えてもいい?
少しだけ…ヒノエの、強い心に甘えてもいい?

今はまだ“なんのため”を考える練習をしている最中だから…

ちゃんと、ヒノエのように強い心を持ちたいから…
だから、今だけ…ヒノエの強さを、分けて欲しい。




そんな想いを込めて、この日あたしは二度目のキスを玉へ落とした。



キスの後、目を開くより先にヒノエの温かな腕に包まれた。

「今夜は一晩中抱いててやるよ」

「…っ!」

「熊野を支えられる程心が強い男だからね。可憐な姫君を支えるくらい…わけないよ」

「…そ、だね」

自然と零れる涙は、何を意味しているんだろう?
あぁ、でも今はそんなのもうどうでもいいや。

温かな腕と、心地よい鼓動。
それを近くに感じながら、色々考えて疲れた頭を休めようと目を閉じる。

「…」

「おやすみ、姫君」

眠れないと思っていたのに、気付けば心地よい眠気に体が包まれている。
そして、ヒノエに抱かれたまま…あたしは意識を夢の中へと飛ばしてしまった。





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