目の前に置いてあるダークグリーンの車の後ろに回り込みその場にしゃがむと、手に持っていた紙袋からある物を取り出す。
音を立てないよう細心の注意を払いながら、女は耳につけているイヤホンの指示に従った。

『出来たか?』

「うん、何とか。」

『よし、じゃぁ次は・・・』

「ねぇ千秋。」

『何だよ。』

指示通りの場所へ袋から取り出した物を取り付けながら、女は眉間に皺を寄せつつイヤホンへ語りかける。

「あたし達って・・・付き合ってるんだよね。」

『だろうな・・・で、出来たか?』

付き合っている恋人同士の会話とは思えない会話を繰り返しながら、女は車の後ろにある物を取り付け立ち上がる。

「出来たよ。」

『よし、じゃぁ戻って来い。』

「はーい。」

それだけ言うと通話が途切れ、女は胸ポケットに入れていた携帯電話を取り出して通話を終えた。

「じゃ、戻ろうかな。」

んーっと大きく背伸びをして空になった袋を手に歩き出そうとした背に、聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。

「どちらへお戻りですか?さん。」

その声を耳元で囁かれた日には何人の女性が倒れるか分からないと言うほど、艶っぽい美声。
は凍りついた体をゆっくり、ゆっくり動かしながら背後を振り返った。

・・・な、直江・・・さん。

「随分素敵な装飾品を車につけて下さってありがとうございます。」

ニッコリ笑顔で微笑む直江の手には、紐のつけられた空き缶が大量に握られていた。

「どう言う事でしょうか。」



――― もう、言い逃れは出来ない。



は隠していた答案を見つけられた子供のような顔で直江を見つめると、小声で話し始めた。

「あの・・・その・・・結婚式の退場準備を、させて貰いました。」



――― 早い話が、
イタズラである。



の言葉を聞いて直江は腕を組むと、首謀者であり共謀者である男の名を口にした。

「・・・長秀ですね。」

「ちっ違います!」

首と手を同時に振って直江の言葉を否定するが、元々嘘のつけないの態度が大げさであればあるほど真実だと言う事を上杉夜叉衆の一員である直江が気づかないはずはない。
その素直さに思わず直江の頬が緩みかけたが、それをわざといつもの表情で隠して困ったようなため息をついて見せた。

「それじゃぁこれはさんの独断、と言う訳ですね。」

「はい!」

今度は力いっぱい首を縦に振っている。
まるで体内に嘘発見器を仕込んでいるかのように素直な人間である。
彼女の前では直江のポーカーフェイスも崩れてしまいそうな事が度々ある。
どうしても気持ちが緩んでしまい、彼女の行いを全て許したくなってしまうのだ。
実際今、彼女のイタズラが成功しても構わなかった、とすら思い始めている。
本当に彼女がこのイタズラを企んだと言うのであれば・・・だ。
だが今罰するのは彼女ではない。

このイタズラを思いついた首謀者、安田長秀こと彼女の恋人、千秋修平だ。

そう考えた直江はひたすら謝り続けるの前に立つと、そっと頭に手を置いた。

「・・・もういいですよ、さん。」

「え?」

「素直に非を認めて謝って下さったんです。車に傷もついていませんし、貴女の企みも事前に止められました。」

「・・・直江さん。」

「貴女にそんな顔は似合いませんよ。いつものように笑って下さい。」

普通の男がサラリとそんな台詞を吐けば、大抵の人間は寒さのあまり逃げる・・・が、この男が言うとどうしてこう様になるのか不思議だ。
目の前で柔らかく微笑まれ、そんな事を言われればいくら彼氏持ちとは言え顔を赤らめても仕方のない事だろう。
瞬時に顔を赤く染めたは思わず直江から視線を反らし、手で顔を仰ぎ始めた。
その様子を温かな目で見ながらも、直江の視線はどこか遠くを見つめている。
やがてある一点に視線を集中させると、ポソリと呟いた。

・・・なるほど。

「え?」

「いいえ、こちらの話です。あぁそうださん、これから少しお付き合い下さいませんか?」

この言葉に驚いたのは・・・先程直江の視線が向いていた所に気配を隠して隠れていた千秋である。

「えっと・・・その、ちょっと・・・」

「高耶さんがさんに会いたいとおっしゃってるんですよ。」

「え?高耶が!?」

「えぇ。最近あまり顔を見せて下さらなかったのでどうしているか、と聞かれまして・・・」

「で、でも・・・」

は高耶を気に入っている。
出会った当初からあの高耶を可愛いと言って飛びつき、それ以降も高耶の姿を見つけるたびに飛びついては頭を撫でている。
今までそんな事をされた事の無い高耶は毎回怒鳴りつけているが、まんざらでもない様子だと直江は思っている。
その高耶が自分を呼んでいると言われればの心も揺れるだろう・・・が、千秋のイタズラに荷担していたである。
結果報告を千秋へ入れなければならないため、今ひとつ踏み出せないらしい。

ならば、別の方向からを動かせばいい。

そう考えた直江はの表情を観察すべく一歩下がると、さも今思いついたかのような言い方である事を告げた。

さんがいらして下さるなら途中にある美味しい洋菓子店でケーキでも、と思ったんですが・・・」

「・・・ケーキ?」

「えぇ、フランスでいくつもの賞を取ったパティシィエがやっているお店で・・・」

「・・・フランス。」

「最近出来たばかりの店なので雑誌でもあまり紹介されていない隠れた名店なんです。」

「・・・」

が甘い物好きだと言うのは周知の事実。
所在なさ気にさ迷っていたの目が、目の前の直江をじっと見つめるようになった。
様々な武将の思惑を見抜き、その足元を崩してきた直江からすれば・・・を落とす事など造作もない。

「通常の物より少々値段は高めですが・・・」

「・・・」

の眉間に皺が寄ったのを見てから、直江はそっと彼女をエスコートするかのようにその手を取って微笑んだ。

「景虎様の元へ行かれるお客様に支払わせる事は出来ません。私がご馳走しますよ。」

「行きます!」



――― 、陥落










「っと、待て!!」

イタズラに失敗し、直江に見つかったをどうやってあの場から助けようか思案していた矢先に、自ら進んで車に乗り込むの姿を見て反射的に立ち上がってしまった。

「・・・っ!」

助手席の扉を開けたまま、直江の視線はまっすぐ千秋を見ている。
そして一瞬視線を助手席のへ向け、扉を閉めると・・・直江は僅かに口元を緩めて何か物言いたげな千秋を無視して車に乗り込んだ。

「おいおいおい・・・」

を乗せたダークグリーンのウィンダムは、茂みから出て来た千秋を残して重いエンジン音を響かせながらその場を後にした。

「あっの野郎!!」

思わず車に向かって念を打ちそうになったが、助手席に乗っているのが自分の恋人だと言う事を思い出し必死でその手を押さえる。

「あーっっ畜生!」

側にあった空き缶を蹴飛ばし、そのまま愛車レパードに乗り込みエンジンをかける。

「躾が足りねぇってか?」

誰に言うでもなくそう呟くと、千秋は彼らが向かったであろう場所へ車を走らせた。




















「・・・あーやっぱ高耶のケーキにすれば良かった。」

自分のケーキを半分ほど食べた所で、今だ手付かずの高耶のケーキに目をつける。

「んじゃ、これも食え。」

「ダメ。それは高耶のだもん。」

差し出されたケーキの皿を押し返して自分のケーキをひと口食べる。

「甘いモンなんていらねぇよ。」

「疲れてる時には美味しいんだよ?ほらほら、ひと口だけでも食べなって。」

そう言いながらは高耶の皿に乗せていたフォークでチョコレートケーキをひと口サイズに切ると高耶の口元へと運んだ。

「止めろって!」

「ほら、ひと口だけ。あ〜ん。」

「ガキ扱いすんなよ!」

「高耶が食べないからでしょ?」

「おい!直江!笑ってねぇで止めろ!!」

今にも高耶の口元へケーキを運ぼうとするの手を押さえながら、目の前に座ってコーヒーを飲んでいる直江の名を呼ぶ。

「疲れている時に甘い物がいいと言うのは本当ですよ。」

「疲れる原因を持って帰ってきたヤツが言うんじゃねぇ!」

「ほらーっ落ちちゃうよ!ケーキ!」

「高耶さん、折角さんが食べさせてくれるんですからひと口食べてあげればいいじゃないですか。」

「あのな!」

「ひと口でいいから!」

「んじゃてめぇが食え!」

そう言うとの手からあっさりフォークを奪い取り、ケーキがついたままのフォークをの口に押し込んだ。
反射的に口を動かしケーキを飲み込むと、隣に座っていた高耶へ再び反撃を仕掛ける。

「高耶のケーキ食べちゃったじゃん!」

「飲み込んでから言うな!」

「全く、さんの前では高耶さんも借りてきた猫ですね。」

直江の言葉に高耶の目が鋭く光る。

「・・・コイツの前で動物園の狼みたいな面してるヤツに言われたくないな。」

「虎も牙を無くせば可愛いものですね。」

「なんだと・・・」

そんな緊迫した空気も感じないのか、それともただたんに鈍いのか。
は再び高耶のケーキに手を伸ばすと、それをフォークに突き刺し直江に向かって何か言おうと大きく口を開いた高耶の口へそれを放り込んだ。

「っ!」

「あはははっ食べた食べた!」

手を叩いて笑い出したを見て、眼光鋭くしていた直江の気配も一瞬和らぐ。
呆然と口の中に広がるチョコレートとブランデーの味を確かめながら、ゆっくり口を動かす高耶を満足そうに眺めたは、次に自分の食べていたシブーストをひと口分フォークに突き刺すと目の前の直江に差し出した。

「直江さん、シブーストどうぞ。」

ニッコリ笑顔でに差し出されたケーキを断る事など・・・彼らには出来ない。

「・・・頂きます。」

直江は楽しそうに歪んでいく高耶の口元を視界の端に受け止めながら、身を乗り出してそれを食べた。

「美味しい?」

「えぇとても美味しいですよ。貴女が食べさせてくれた事で味わいが広がりました。」

「けっ・・・」

直江の満足そうな顔に不満の色を示した高耶が、自分の皿に残っているケーキをフォークに突き刺しそのまま隣に座っているに差し出した。

「ほれ。」

自分がやられた事をやり返して、相手が動揺する様を見ようとした高耶だが・・・相手が悪い。
相手はあの千秋に『色恋沙汰に驚異的に鈍い!とにかく鈍い!』と豪語させた女である。

「わーい!ありがと、高耶♪」

何の躊躇いもなく高耶の手を掴み、口をあけるとフォークの先についたケーキを食べた。

「「・・・」」

「やっぱこれも美味しい!!」

「・・・俺、腹いっぱいだから残り任せる。」

「え?ホント?」

「高耶さん、コーヒーのお替りはいかがですか。」

「頼む。」

高耶も直江も溢れそうになる声を堪えるのに必死で、嬉しそうにケーキを食べ続ける彼女から視線を反らした。





千秋修平と同年代の現代人。
喋らなければそれなりの女だが、その心はまるで穢れを知らない少女のようだ。

――― 真っ白なキャンバスを心に持つ女。

それが今、二人がに対して持っている認識である。
相手を疑う事などなく、自分の感情を全て表に出す。
腹の探り合いや裏切りを常としていた戦国時代を知る彼らから見れば、彼女のその純粋さが、好意が・・・どれだけ自分達にとって眩しいものか、彼女は気づいていない。





高耶のケーキの皿を持って美味しそうに食べるの姿をさり気なく視界に入れながら、高耶たちはこの静かな空気を楽しんでいた。
そんな所へ慌しい足音が近づき、乱暴に扉が開けられた。

!」

「・・・千秋?」

フォークを口に入れたまま扉からやって来た人物をきょとんと眺める。
そんなとは相反して千秋は厳しい目つきで直江と高耶を睨みつけた。

「・・・人の女を餌付けするたぁ随分汚ねぇ手、使うな。」

「餌付けなんてしてねぇよ。勝手に来ただけだ。」

「じゃぁその状態は何だってんだ!」

の前に置かれたケーキの箱と、三枚の皿。
どうやら高耶のケーキを貰う前に直江のケーキは既にの腹に入ってしまっているらしい。

「コイツが美味そうに食うの見てたら腹がいっぱいになったから責任を取って食わせてるだけだ。」

「・・・」

いつも飄々としていて表情を崩すことの無い千秋の慌てた顔がよほど面白いのか、高耶はやけに楽しそうだ。
ソファーの背にゆったり体を預けながら何か面白い事を思いついたのか、高耶がニヤリと笑いながらの前に残っているケーキの皿を指さした。

「・・・、お前のケーキも美味そうだな。くれよ。」

「え?高耶食べるの?」

「お前が食ってるの見たら美味そうに見えてきた。」

「・・・高耶さん。」

高耶の意図が読めたのか、今まで千秋にからかわれた仕返しとでも言わんばかりに高耶はに絡み始めた。
そんな事に気づくはずも無いは、素直に自分の食べていたケーキの皿からひと口だけすくうと高耶の前に差し出した。

「あーん・・・美味しい?」

「あぁ・・・美味い。」

時折見せる少年のような笑みを浮かべた高耶を見て、は自然と高耶を抱き寄せる。

「可愛いぃ〜っ!!」

・・・かーげーとーらぁ〜

の腕に抱かれたまま挑発するかのような視線を千秋へ向ける高耶を見て、プツリ と千秋の中で何かが切れた。
ズカズカと高耶を抱えたの側へ行くとそのままの体だけを抱き上げる。

「あ、あれ???」

腕の中でしっかり抱きしめていたはずの高耶の体がなくなって首を傾げるをそのまま腕に抱き寄せ、千秋は高耶と直江を睨み付けた。

「・・・これは俺のモンだ。誰だろうと渡さねぇよ。」

それだけ言うと千秋はの肩に手を回し部屋を出て行こうとしたので、が慌てて止める。

「待って!待って千秋!」

「こんなトコ、一分一秒もいたくねぇ!」

「忘れ物!!」

「あ?」

そう言うとは千秋の腕からすり抜けて、テーブルに置いてあった小さなケーキの箱を持って戻ってきた。

「何だよ。」

今だ怒りの治まらない千秋は厳しい目をに向けながら手の中の箱を指さした。
するとがリボンを解いてフタを開けるとそれを千秋の前に笑顔で差し出した。

「はい、これ千秋の分!甘くないチーズケーキだよ。」

「・・・」

「あとでひと口味見させてね!」



何の力もないただの現代人。
その彼女の発言ひとつ、微笑みひとつ・・・ヘタをすると呼吸ひとつで上杉夜叉衆は総崩れになるかもしれない。





ケーキ好きの彼女が、店員に色々尋ね最後まで悩んでいたケーキ。
沢山並んでいる中から吟味に吟味を重ねて選んだケーキは・・・千秋の為のものだった。



テーブルに並べた時にまるで壊れ物でも扱うかのように気遣っていた物。
それは千秋に渡す為の物だった。





それぞれ思う所のある直江と高耶の二人はの行動に思わず口を噤む。
ケーキを見ている千秋も・・・さっき迄まとっていた怒気を散らし、既にいつもの調子に戻ったようだ。

「色々食べたけどね、ここのケーキ美味しいんだよ!」

さっき迄食べていたケーキの美味しさを一生懸命伝えようとすると視線を合わせて、いつもの余裕の笑みを浮かべた千秋がの両肩にポンッと手を置いた。

「・・・で、幾つ食った?」

「う゛」

「この間ダイエットするんだーって言ったのダレ?」

あ、あたし・・・

「この調子じゃ暫くケーキ抜きだな。」

「えーっっ」

「自業自得。ほら、帰るぞ。」

非難の声も無視して歩き出した千秋の背を、ケーキの箱を持ったが追いかける。

「やだやだ!」

「直江の車に仕掛けるのもバレた上、こんなトコまで人迎えに来させやがって。」

「でも美味しいケーキ屋さん覚えたよ!」

「・・・で、ダイエットやり直し、と。」

「う゛」

がダイエット成功させる日はまだまだ先だなぁ〜♪」

「千秋が痩せすぎなのがいけないんだもん!」










遠ざかる声を聞きながら、ソファーに座っていた高耶がズルズルと力なく沈んでいった。

「・・・まじぃ。」

「高耶さん?」

「闇戦国で勝ち抜くより、勝ちたいモンが出来そうだ。」

「・・・彼女、ですか?」

「わかんねぇ・・・ケド・・・」

多分、と呟いた高耶の声を直江は聞き逃さなかった。
そして高耶が思った事と同じ事を、自分も胸に抱いたと言うのは・・・まだ口にはしない。
大きくため息をついて自分の思いに驚いている高耶をよそに窓辺へ向かう直江。
そこから見えたのは・・・家の前から走り去る、千秋愛用のレパード。
ついさっき同じ事をやったのは自分なのに、連れ去られる姿を見るのはこんなにも胸が痛いものなのか。





千秋が仕掛けたホンの小さなイタズラの仕返しのつもりだった。
車でを連れ去った直江も、わざとの前で少年のように振舞った高耶も。
けれどそれよりも大きな罠にかかってしまった・・・邪気のない笑顔、という罠に。

その笑みが、それぞれ武将としての魂を揺さぶり出す。



――― 欲しいものは、力ずくで手に入れよ・・・と





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あー・・・続いちゃってるよ、蜃気楼夢(笑)
このネタはお相手が高耶でも千秋でもどっちでも良かったんですが、高耶相手だと直江さんがあまり動いてくれないので千秋をお相手にしました。
・・・たっのしかったぁ〜(笑)←本当に書いてて楽しかったらしい。
直江さんの車に空き缶をつけようと言うイタズラを思いついたのは私です。
カッコイイ車がエンジンかけて走り出した時、カラカラカラって音がすると面白いなぁって(笑)
逆を言えばそんな子供じみたイタズラしか私が思いつかないので、千秋が子供っぽくなっちゃってますね(TT)
くーっ本当はもっと上手く書きたいのに!←風見の脳みそでは無理。

個人的には張り詰めた空気の中、高耶の口にケーキを放り込むシーンが好きです(笑)
今後蜃気楼に関しては本当にどうなるか不明(笑)
ヘタすると高耶彼女と千秋彼女の二本立てで行くでしょう。
・・・どこからか「直江さんは?」と言う声も聞こえそうですが、ま、それはそれでw(逃げてる(笑))