桜の木には魔物が住む、と人々は言う。
けれど、自分ほどその言葉にあう者はいないだろう。

――― 他人の体を奪って、世をさ迷う・・・私以上には ―――

頭上を舞い散る桜を見ながらそんな事を考えてしまったのは、以前ここで会った女と再会した所為かもしれない。






偶然街を歩いていると、目の前で勢い良く転んだ女がいた。
それが彼女 ――― だった。

「・・・あいたたた」

「・・・」

「もぉ、また転んだ・・・あ、すみません。」

通り行く人々に詫びながら、散らばった荷を集める彼女。
ちょうど自分の足元にも彼女のものらしき財布が落ちていたので、ひざまずいて差し出した。

「お財布っ!す、すみませんありがとうござ・・・」

ふと顔を上げた瞬間、口にしかけた言葉が止まった。
初めて会った時よりも僅かに伸びた前髪の隙間から見える、印象的な瞳。
その瞳が大きく見開かれ、やがて柔らかな笑みを浮かべ嬉しそうな声を上げた。

「小太郎さん!」

「・・・」

拾った荷を持っている手が震える。

「うわぁ、こんな所で小太郎さんに会えるなんて思って無かった!え?お出掛けですか?」

つい先ほど、自分が転んだ事など既に頭に無いのか、彼女は笑顔で私の服の袖を掴んでいる。

「それとも待ち合わ・・・」

「先に荷物を拾い集めた方がいいんじゃないか。」

「あ゛」

「・・・手伝おう。」

「すみません。」

やがて散らばった荷を全て集め、彼女がそれを確認している間も・・・私はその側を離れなかった。



別段、用事があったわけではない。
彼女の・・・の側にいる必要性など、今の私にはないはずだった。
けれど、私の服を掴んでいた時の表情が心に焼き付いてしまった。

――― もう少し・・・



「よし、全部あった!」

「そうですか。」

「何だか小太郎さんにはいつも助けられてますね。」

「いつも、と言われても今日を入れて2回目ですが・・・」

「会うたび助けられてるから、いつもって事で!」

そう、なのか?

「改めてありがとうございました。おかげでお財布もカードも定期も全部無事でした。」

「そうですか。」

「はい!」

「・・・」

「・・・」

その後の会話が続かない。
元々他愛無い会話というものをした事がない私は沈黙を苦と思った事はないが、彼女はどうなのだろう。
思考をめぐらせ、ふと風に乗って舞い散る桜に目が行った。

・・・桜・・・

「え?」

「桜は・・・好きですか。」

公園の中では今が見頃、といえる桜が満開になっている。
先日三郎殿が愛しげに桜を見上げていたのを思い出して、同じように問うてみた。
すると彼女はまるで目の前で蕾が開くかのような笑みを浮かべ、答えた。

「はい!大好きです。」

「・・・そうですか。」

三郎殿は桜を見て、少し寂しげに微笑まれていた。
だが、彼女はなんと鮮やかに微笑むのだろう。

「小太郎さんは桜好きですか?」

「私、ですか?」

「はい!」

「・・・あまりそういう風に考えた事はありませんね。」

自分に好きな物など、あったからどうだというのだ。
だから、その場にある物を個人の好みで分別した事はない。



――― 特になんとも思っていない



そう言ってしまえばいいのだが、側で何かを期待しているかのような眼差しで私の言葉を待っている彼女を見ると、簡単な言葉で終わらせてしまうのは些か残念に思える。

改めて風に舞う花びらを目で追い、壁向こうにある桜を眺めてみる。

だが、やはり私の心を震わせるような事はない。
ということは、私の好きな物・・・ではないのだろう。

そう答えようと桜から彼女へ視線を戻した瞬間、私は自分の周りの音が消えたのを感じた。



愛しげに桜を眺める彼女の周りに舞い散る・・・淡い桜の花びら。

もしこれが他の色だったらどうなのだろう?
・・・駄目だ、彼女を取り巻く空気を形に表せるものは、多分この桜の花の色だけなのだ。




その事に気づくと、急に桜という物の存在が自分の中で大きく感じられるようになった。

・・・です。

「え?」

「私も、桜は好きです。」

そう伝えると、彼女は酷く嬉しそうに笑いながら私の手を取った。

「じゃぁ今度一緒にお花見しませんか?」

「・・・私と、ですか?」

「はい!この間、友達とはやったんですけど・・・皆お酒飲んじゃって落ち着いて桜見れなかったんですよ。」

「・・・」

「だから、もし小太郎さんが良ければ、何処かに桜見に行きませんか?」



ここで頷く事は、どういう事なのだろう。
私が・・・私個人が判断してもよいものなのだろうか。




「・・・」

「あ、ごめんなさい。小太郎さんの都合も考えず・・・」

「いえ・・・」

「じゃぁ、もしお花見できるようだったらメールくれますか?」

「メール。」

「はい。お仕事の都合とかもありますよね?だから、もし小太郎さんとあたしの都合があったらお花見しましょう。勿論メインは桜で!!」

頭上の桜を指差しながら、はっきり言った彼女の瞳の眩しさに思わず目を細める。



一体どうしたというのだ・・・私は。



「あ、いっけない。待ち合わせに遅れちゃう!」

「何処かへお出掛けですか?」

「はい。知らないうちにどっかに出掛けてたヤツが帰って来たんで、一言文句言いに行くんです。」

「そうですか。」

「それじゃぁメール待ってますね、小太郎さん!」

「・・・」

私の横を駆け抜けていく彼女の背を見送りながら、忍ばせていた携帯電話を手に取る。
ここに刻まれているのは、私の心を支配する数少ない方の名前だけ。
電話、として使用するのは任務の時だけだったのだが・・・。

その時、携帯の液晶部分に一枚の桜の花びらが張り付いた。



まるで彼女と出会った事をそこに示すかのように・・・





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桜の時期は過ぎちゃいましたが、小太郎と桜の話、パート2です(笑)
実はこれ、くちなしのお題のボツをリテイクした物だったりします。
ファイル整理している時に発見し、読み直して書き直しました。
今までに無い自分を動かす何かに戸惑いながらも動く小太郎が・・・なんか愛しくて。
携帯の液晶部分に桜が張り付いたシーンなんか、凄く綺麗な感じがして気に入っています。
ちなみに小太郎の携帯に入ってるのは北条方の電話と、三郎・・・高耶の番号だけだと思います。あぁ勿論、ヒロインの番号もちゃーんと・・・入ってるんですよ。
そう考えると、実はこのヒロイン・・・凄く愛されてるんじゃないかとか思います。
まだ小太郎が表立って何かしてる訳じゃないですけどね(苦笑)