「さん、好きや」
伸ばされた手から逃れるよう、一歩後ろに下がる。
「…ダメ、ダメなの」
この手をとったら、自分は弱くなってしまう。
今までひとりで立てた場所で、立てなくなってしまう。
「ごめ、なさ……ぃ」
「…そんな顔で言われても、あかん。信じられんよ」
溢れる涙を堪えることも出来ず、小さく首を横に振り続ける。
「ダメなの…蓬生…」
「ダメやない」
年下なのに、まるで小さな子供に言い聞かせるような声で囁かれる。
「ダメやないよ、さん」
「ダメ…」
目の前にいるはずの蓬生が、歪む視界のせいで良く見えない。
涙を拭うために手をあげようとしても、重力が腕を地面に縫い付けているかのように重くて動かせない。
色んなことが胸を渦巻いて、辛くて苦しくて…ダメだと言いながら、目の前の人の名を呼んでしまう。
――― もう、遅いのかもしれない
「蓬生……」
「やっぱり、ダメやないんやね」
動けない自分を包み込むように、力強く抱きしめられる。
「そんな声で名前呼んどいて、ダメなんて言わんどいて」
「蓬…ぃ」
息が詰まりそうなほど、きつく抱きしめられる。
けれど、抱きしめられたことによって伝わる熱と、鼓動が心地よく感じられる。
苦しみを堪えるためではなく、心地よさに目を閉じかけた時…耳元で囁くような声が聞こえた。
「…なぁ、言うて。俺が欲しい、て。俺だけおればええ、て」
それは、まるで懇願するかのような声
「あんたが好きや…あんただけが、好きや」
優しく、甘い…そして、どこか誘うような声音
「ひとりで恋に溺れるんは怖いけど、あんたとなら…怖ない」
動かなかったはずの手に絡みついていた何かが、別の何かで絡みとられる感覚。
「この手ぇ、離さへんよ」
その声に、絡められた指に、顔をあげてしまった。
「さんと溺れるなら、本望や…」
そして、その瞳を見た瞬間…最後まで堪えていた何かが、崩れていくのを感じた。
それを蓬生も瞳の奥に見たのだろう。
まるで、獲物が手の中に落ちたかのように瞳が細められた。
「俺のこと、好き?」
「…あたし、は…」
紡がれるはずだった言葉は、音になるよりも先に、彼の心に直接注がれることとなった。
自分を抑える意味での、ダメ、でした。
2010/06/30