星奏の音楽準備室で、榊さんと二人きり。
あたしの両側に手をついた彼は、夕陽を背にしているせいで、その表情は読めない。
「君が緊張しているってことは、俺は少しは意識されていると思ってもいいのかな」
「この状態で、緊張しない人はいないんじゃないか…と」
「どうしてかな」
「…どうしてって…」
だって、密室に男女二人になっちゃ駄目って、蓬生が言ったってことは、危ないってことだよね。
何が危ないかはわからないけど、今は危険な状態ってことは変わりなくて。
しかも千秋たちは、ここにはどうやっても来れないから、自分でどうにかするしかない。
でも、ドアが開かなくて、目の前の人は、開けてくれる気がなさそう。
そんなことをぐるぐる考えていたら、目の前の彼の肩が微かに震え始めた。
「……っく…」
「?」
具合でも悪くなったのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。
一歩後ろに下がると、彼はこちらに背を向けて…なんと、笑い出した。
「はははっ…だ、駄目だ…ごめんよ、ちゃん」
「…はい?」
「君、が…あまりに、可愛らしい表情で苦悩するものだから…」
「は、はぁ…」
それから暫くの間、榊さんはまるでワライダケでも食べたかのように、涙を流して笑い続けた。
「…大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だよ。心配かけてすまないね」
「いえ…なんか、原因、あたしみたいですし」
「そもそもの原因は俺だから…」
「そういえばそうですね」
あんなに張り詰めていた空気は拡散し、今はなんだかほんわかした雰囲気の中、床に座り込んで並んで座っている。
「久しぶりだな…こんな風に笑ったのは」
「そういえば、榊さんは声をあげて笑うことってあまりありませんね」
「そうかな」
「と言っても、あんまり知りませんけど…見てる範囲では、あまり」
あちこちでその姿を目にするけれど、いつも微笑むところばかり見ている気がする。
声をあげるというと、響也くんやハルくんの方が頭に浮かぶ。
そんなことを考えていると、隣からぽつりと洩れる声が聞こえた。
「そうか…見ていて、くれてるのか」
この時、あたしは彼の呟きに含まれている意味に気づかなかった。
「自然と見ちゃうんです。千秋たちみたいに、やっぱり皆さん花があるんでしょうね」
「彼らほどではないと思うけれど、ちゃんが俺を見てくれたのなら、素直に嬉しいな」
今度は夕陽に照らされた榊さんの表情が、はっきり見える。
嬉しそうな…恥ずかしそうな、今までみたことがないような、そんな表情。
「君に話しておきたいことがあるって言ったね」
「…あ、は、はい」
「ちゃんには…好きな人、が……いるのかな」
「…………………は?」
予想外の…というか、あまりに突拍子も無いことを聞かれ、間抜けな声をあげる。
「え……あの…」
「男として、恋人として好き…という意味だよ」
――― 男として、恋人として好き…
馬鹿みたいに、榊さんの言葉が脳内を凄い勢いで駆け巡る。
けれど、それと同時に…ある人の姿が、一瞬脳裏に浮かんだことに、頬がかっと赤くなる。
「…あ、あたし」
「どうやら、いるみたいだね」
「や、あのっ、そんな…わかんないです!!」
今まで大事に抱えていた楽譜が、ばさりと床に散らばっても、あたしは両手を左右に振り続ける。
「頭ではわかっていなくても、心では既に決まっているみたいだけど?」
片目を閉じて、自分の胸を軽く示す榊さんを見て、鼓動が跳ねる。
まさか、そんな…
いきなりの展開についていけず、そのまま硬直していると、不意に頬に温かな物が触れた。
「……好きだよ」
「………」
「彼のことを、想っている君が…好きだ」
「さ……かき、さん」
「口にするつもりは…なかったんだ。ただ、君の気持ちが知りたくて…色々怖がらせてしまって、ごめん」
さっきまでとは別の意味で赤くなった頬を手で押さえながら、立ち上がった榊さんを目で追う。
「俺でよければ相談に乗るよ。多分、彼のことなら多少なりと策を練ることは出来ると思うからね」
「っ!!」
そのひと言が、あたしの不確かだった気持ちを確信へと変えていく。
「さ、榊さんっ!!」
「大丈夫。土岐には秘密にしておくよ。だから…今日のことは、俺とちゃんの二人だけの秘密にしてくれないか」
こちらに背を向け、散らばった楽譜を拾い集めながら、明るく告げようとする彼の言葉。
その言葉が、胸をぎゅっと締めつけ…あたしは声もなく、その言葉に頷いた。
「…ありがとう」
何故か榊先輩振られてしまった…あれ?
72.緊張の続きです。
2010/07/02