「お頭っ!琥珀をどうにかしてくだせぇ!」

「あれじゃぁオチオチ甲板で昼寝も出来ねぇ!!」

船の上という限られた空間で数人の部下の声が船室で休んでいた翡翠の耳に飛び込んできた。
何やら豪華そうな装丁の書を広げていた翡翠は、それを寝所に放り投げ面倒くさそうに振り向く。

「やれやれ、今度は一体どうしたんだい。」

「「海に飛び込んだんでさぁ!」」

一瞬の沈黙の後、翡翠が再び寝所に放り投げた書に手を伸ばしたので、慌てて部下がすがりつくように翡翠の衣の裾に手を伸ばした。

「アイツはお頭の言う事なら何でも聞きますっ!」

「頼んますから、琥珀を船に上げてください!!」

「・・・琥珀が何より海好き、というのはお前達も知っているだろう。」

「「でも、あれじゃぁ海好きじゃなくって魔性の人魚っす!!」」

「?」

部下達の意味をなさない言葉に、ようやく腰を上げた翡翠が甲板に出ると、更に大勢の部下達が口々に翡翠に助けを求めるべく駆け寄ってきた。

「お頭!」

「助けて下さいっ!」

「これじゃ蛇の生殺しっす!!」

部下の声を聞きながら、翡翠はただ1人静かにこの状況を見ていた副官に声をかけた。

「今度は一体何をしたんだい。」

「ただ海に潜りに行っただけだが、昔のクセがまだ抜けないらしい。」

「・・・なるほど。」

苦笑しながら全員が目を逸らしている船先へと足を進め、まっすぐ前を見つめる。
穏やかな波間をぬうように太陽の光をその背に浴びた人魚とも思える影が・・・翡翠の姿に気付くと大きく手を振った。

「あ!翡翠!!」

大して驚いた様子もなく、翡翠も軽く手を上げると娘に声をかけた。

「・・・やぁ琥珀、今日の海の機嫌はどうだい?」

「ん〜、まぁまぁかな。でも、翡翠の好きな貝見つけたよ!」

ほら、と言って腰につけていた袋を高々と掲げ、自慢するよう翡翠にその品を見せる。

「ほぉ、これはまた随分深くまで潜ったんだね。」

「翡翠が好きな物は取り逃がしたりしないもん。」

ゆっくり船に近づいてくる娘の為に、縄梯子を用意させ近づくのを待つ。

「早速今日の夕餉に出してもらうとしよう。ところで琥珀?」

「何?」

下ろして貰った縄梯子に足をかけ、軽やかに海から上がってきた琥珀に翡翠が声をかける。

「・・・衣はどうした?」

「泳ぐのに邪魔だもん。」

真っ白な肌に、日に焼けて色の抜けた亜麻色の髪。
黙って立っていればどこぞの姫君と間違われてもおかしくない容貌だが、甲板へ姿を現した琥珀の姿は・・・普通の娘にあるまじき姿だった。
下半身だけは水干袴を身につけてはいるが、上半身は豊かな長髪が胸元を覆っているだけでその肌は露になっている。
さすがの海賊達もここまで大胆にいられると、視線を合わす事も出来ないらしい。



――― まぁ頭を翡翠としたこの船の男たちだけかもしれないが・・・



「それにこんないい天気の日に、衣着たまま海に入るなんて海に失礼よ。」

翡翠の前で何の躊躇いもなく胸元を覆っていた髪をまとめ、その雫を落としている姿を見た翡翠は小さくため息をつき、咎めるようその名を呼んだ。

「琥珀。」

「ん?」

けれど顔を上げた琥珀はその声色の変化に一向に気付く様子はない。
さり気なく琥珀の姿が女としてあってはならない身である事を教えようと、翡翠は船の後方で楽しそうに笑いながらこちらの様子を眺めている女達を指差した。

「・・・この船の女達で、今のお前のような格好をした者はいるかい。」

「いないね。」

「皆、海に入る時、どんな格好をしている。」

「そもそも皆、海に潜らないじゃん。潜るのは男ばっかりで、その時は皆なーんにもつけないでしょ?」

一向に悪びれない様子の琥珀を見て、翡翠は琥珀と視線を合わせるべく床に膝をついた。

「以前、私が話した話は覚えているかい?」

穏やかな笑みを浮かべてはいるが、その声は酷く静かで落ち着いている。
それを聞いた他の人間の方が逆に動きを止め、息を殺す程だ。
けれどそんな空気を読み取る事など出来ない琥珀は、う〜んと唸りながら首を傾げると明るく声を上げて笑い出した。

「あははは、翡翠の話っていっぱいあるから、どの話か忘れちゃった。」

「・・・では、今度こそその胸にしっかり刻ませて貰うよ。」

「へ?」

きょとんとした琥珀の体を、自らまとっていた衣で包むと無造作に肩へ担いだ。

「うわぁ!」

「何度も言ったろう。お前ももう、いい年になったのだから皆を困らせるんじゃない、と。」

「誰も困ってないじゃん!」

「では、皆の顔を見て尋ねてごらん。」

肩に担がれたまま僅かに動く手で体を起こし、側にいた男に声をかける。

「別に構わないだろ?」

「・・・」

口元を押さえて目を逸らした男に舌打ちをし、先程縄梯子を下ろしてくれた男に声をかける。

「気にしないだろ?」

「・・・あ、いや・・・」

苦笑しながら縄梯子を綺麗にまとめると、そそくさと琥珀の前から姿を消した。
次第に不快な気分になってきた琥珀は、翡翠の隣にいる副官に声をかけた。

「若い女の裸、男なら皆嬉しいって言ってたよね!!」

「それは否定しない、が・・・」

副官の言葉を遮るように、琥珀は嬉しそうに声を上げて翡翠の名を呼ぶ。

「ほら、翡翠!嬉しいって!」

「続きを聞いてごらん。」

「・・・続き?」

翡翠に言われて再び副官へ顔を向けると、ひとつ咳払いをしてから副官はこう答えた。

「お前は、別だ。」

「えーーーーっっ!?」

「さぁ、今日こそキチンと自分の立場を分かってもらうよ、我らが船の舞姫?」




















数年前、他の海賊とのいざこざに巻き込まれた豪華な船があった。
戦闘に勝利した翡翠の船が、船内をくまなく探索すると、衣の隙間に幼子が眠っていた。
無益な殺生を好まない翡翠は、幼子をどこか近くの国へ着いたら預ける事を決定した。
しかし、目覚めた幼子は海賊を怖がろうともせず、逆にその愛らしい笑みで海賊達を次第に虜にしていった。



――― 勿論、目の肥えた翡翠ですら例外ではない

荒くれ者と言われる海賊の心の影すらも照らしだす、太陽のような女童。



僅か数日ですっかり海賊生活にも慣れた頃、彼らの目の前に陸地が現れた。
そこで起きた、ひとつの問題。
当初の予定では陸へ返すはずだったが、さすがに皆の気持ちに変化が現れた。
このまま船で育てようと言う者もいれば、この子の幸せのためには陸に上げた方がいいと言う者。
船を二分しかねない事態に、その決定権は頭である翡翠に任された。





そして明日がこの子の命運を分ける日、という前夜・・・翡翠は隣で眠る幼子の頭を撫でながら、いつものようにその寝顔を眺めていた。
明日、自分がどうなるかも知らず眠る顔はとても幸せそうだ。

「・・・何も知らない方が幸せ、とは思えないのだよ。」

明日のためにと綺麗に整えられ、やや短くなった髪をそっと手に取り、ずっと思っていた事を口にする。

「お前は、どうしたい。」

・・・ん〜

「陸に上がるのならば良い養父母を見つけてやる事も、それに見合うだけの金銀を置いていく事も出来る。」

「・・・」

「それに陸にいればお前は何者にも追われる事なく、何不自由なく幸せに暮らせるだろう。」

「・・・」

「けれど、もしお前が・・・」

そこまで言いかけて、口を閉ざした翡翠の長い髪を・・・小さな手が掴んで、声を発した。

「あたしが・・・何?」

その瞳には真珠のような涙が浮かんでおり、今にも目から零れ落ちそうになっている。
翡翠は優しい笑みを浮かべながらそれを指で拭い、幼子を胸に抱きしめながら先程飲み込んだ言葉を・・・紡いだ。

「もしお前が船に残ると言うのならば・・・過去を捨てなさい。」

「か・・・こ?」

「そうだよ。育ちも生まれも元の名も・・・全てを捨てても構わないのなら、このままお前を側に置こう。」

「・・・」

幼子には厳しい決断を強いたと思う。
けれど、自分の人生を決めるのは他の誰でもない・・・自分だ。
暫しの沈黙の後、幼子は自ら涙を拭い掴んでいた翡翠の髪からゆっくり手を離し呟いた。

「・・・・・・」

言葉を発した後、きりりと結ばれた口元が決意の現れ。
小さな声が、翡翠の胸にしっかりと刻まれた。



――― ずっと ひすい と みんなの側 に・・・



今にも泣き出しそうに震える体を抱きしめ、その耳元で優しく囁いてやる。

「・・・では、私がお前に新たな名をやろう。」

「ひすいがつけてくれるの?」

「そうだよ・・・嫌かな?」

翡翠がそう言うと、幼子は首が千切れんばかりに左右に振ってその言葉を否定した。

「うれしい!!ひすいがあたしに名前つけてくれるのね!」

小さな手で翡翠に抱きつくと、涙を流していた顔は今や期待いっぱいの表情に変わっている。
その明るさが、翡翠を・・・そして他の海賊達の心をも掴んだのだ。

「今日からお前の名は・・・『琥珀』だ。」





この日から、翡翠の船に襲われた人々が口にする言葉に、僅かな変化が見られた。



翡翠の船を見たら、まず逃げろ。

逃げねば、即座に襲われる。

回り込まれてしまえば、翡翠からは決して逃げられない。



・・・決して先端に気を取られてはならない。

美しい舞姫に目を取られた隙に、船はあっという間に翡翠の手の中。

舞姫は、船男を惑わす魔性の女。






海では不似合いな舞姫、という言葉が翡翠の名と並んで他の人間の耳に届くようになったのは、琥珀が翡翠の船の先端に立つようになってからである。




















「いったーっっ!」

琥珀の陶磁のような白い背中に、鮮やかな手形がくっきり浮かび上がった。

「全く、いつまで子供のつもりなのだろうね。」

「だからって・・・背中っ、背中ぁ〜っ!!

「それを皆に見られたくなければ、今度こそ衣を脱ぎ捨てるなんて事はしないだろう?」

「うぅ〜もぉー翡翠の馬鹿
馬鹿馬鹿ぁ―――っっ!!

まくし立てるように言い捨てると、そのまま翡翠の衣をぐるりと体に巻きつけ部屋を飛び出した。
外では皆が琥珀の名を呼んで、からかっている様子が伺える。

「・・・全く、あれではいつ蛹から蝶に孵るのか分からないね。」

くっくっく、と笑いながら小箱に入った手の平サイズの琥珀を手に取る。

「琥珀の輝きは、まだまだ増すだろうね。」

琥珀の輝きが増した時、それは海賊翡翠の心が奪われる・・・かもしれない時。

「・・・本当に海は私を飽きさせる事がないよ。」

ふっと口元を緩め、琥珀を元通り小箱へ戻す。





いつかこれを渡す日がくるだろうか。
幼いお前の手に握られていた、この琥珀を・・・
けれどその時は、琥珀だけではなく・・・きっと私の心もお前の物となろう。





至上の美と輝きを持つ、私だけの大切な宝石

その名は ――― 『琥珀』




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・・・まず最初にお詫びを(汗)
名前変換がなくって申し訳ありませんっっ!!
これじゃぁ夢小説になってないじゃん!と言われてもしょうがないね、あはははは(苦笑)
でもどうしても翡翠の側にヒロインを置きたかったので、こんな感じになりました。
続きが書ければ・・・って言うか、他の八葉との話も書ければいいんだけど、実は私遙か2が一番縁薄いんですよね(汗)
だからあんまりネタが浮かばない・・・(ぽそっとね)
でもこの話だけはポーンと頭に浮かんで、あぁそうかこのヒロイン作っとけば遙か2で話書きたくなった時使えるじゃん♪と思って勢いに乗って書いてみました。
とりあえず・・・白虎の2人は書けそう、な気がする(まーた曖昧な事を言う(苦笑))
珍しく元気に飛び回るヒロインが書けたので、私的には楽しいですw