――― その娘は、突然オレの前に現れた



道に迷いあちこち彷徨ったのか、衣の裾は泥に塗れ、髪には草をつけている。
その表情は今にも泣き出しそうな童女のような顔をしており、しきりに周囲を見渡していた。

「・・・娘、何故この森に来た。」

姿を隠したまま声をかければ、ビクリと身体を震わせ周りを見渡す。

「何故、ひとりこの森に足を踏み入れた。」

退屈しのぎにからかってやろうと再び声をかければ、今度はまっすぐオレのいる場所へ目を向けてきた。

「だ・・・誰?」

どこか懐かしく思えるまっすぐな眼差しとは裏腹に、その声は恐怖に震えている。

「オレの問いに答えるのが先だ。」

さて、怯えたまま逃げ出すか?



――― それとも、アイツのように向かってくるか・・・



懐かしい眼差しの主を思い出し、娘の反応を待つ。
やがて返って来た答えは些か拍子抜けするものだった。

「気分転換に外へ連れてきて貰って、あちこち見ているうちに綺麗な鳥がいたからその鳥を追いかけてたら・・・」

「迷いこんだ ――― と?」

「・・・はい。」

オレから見ればまだまだケツの青いガキだが、人間で言えば恐らくコイツはもういい年だろう。
そんな人間がたかが鳥一匹を追いかけてこんな所まで来るとは・・・最近の人間にしては警戒心というものに欠けるな。
小さくため息をつくと、オレは羽を広げて体を休めていた木から舞い降りて娘の前に姿を現した。

「・・・」

「全く、最初に出会ったのがオレで感謝するんだな。」

腕を組んだまま間近で娘の顔を見る。
驚愕の眼差しとは裏腹に、娘の体の回りを僅かに白い神気がまとわりついている。
ただの人間の女、というワケでもないようだな。
その気配を紅葉と楓も悟ったのか、ゆっくり娘に近づくとその鼻先を摺り寄せ甘えるような仕草を見せた。
神気は動物にとって心地良いものだから、まぁ仕方がない。
だが馬鹿のように大口を開けてオレを見ていた娘は、紅葉達が擦り寄った事に驚いて後ろに下がった瞬間、足元の石に躓いてバランスを崩した。

「え?うわっ!

そのまま転がしても良かったが、背後に楓がいたので仕方がなく娘の腕を掴んで支えてやる。
少しでも力をいれれば折れてしまいそうな・・・枝のような腕を。

「ありが、とう・・・ございます・・・」

「時折お前のように迷い込む人間もいるが、ここまでやって来たのは数年ぶりだ。」

「・・・」

「来てしまったものは仕方がない。山道まで送ってやる。ついて来い。」

そう言うと掴んでいた手をほどき、紅葉と楓を従えゆっくり歩き出したが一向に娘が足を進める気配を感じない。



――― 世話の焼ける・・・



「・・・そのまま獣の餌になるつもりか。」

「え゛!?」

「まぁ別にお前が食われようとオレは困らんがな。」

くくくっと笑い、再び歩き出そうとした瞬間、温かな物が突然腕に絡みついてきた。

「・・・。」

「すみませんっ!連れてって下さい、お願いします鵺さん!」

腕を取られた事よりも、何の躊躇いもなくオレの名を呼ばれた事に驚いた。

「ほぉ・・・鵺を恐れないとは豪気な娘だな。」

腕に捕まっている娘の手をわざと空いている手で握り、その目を睨みつけてやる。

「オレについて来て、そのまま喰われる・・・とは思わないのか?」

怯える姿を見て笑ってやろうと思っていたが、あろう事か娘は穏やかな笑みを浮かべてキッパリと言った。

「だって鵺さんは頼久さんのお友達でしょう?」



――― 懐かしい男の名 ―――



「だから食べられるなんて思ってません。それにあたし脂肪ばっかりで、鵺さんのお口に合うとも思わないし・・・というか、寧ろ腹痛起こすと思うのでお勧め出来ません。」

頼久と同じ眼差しで、頼久と違う馬鹿げた事を口にする娘。
これが今、あいつの側にいるのかと思うと自然と笑いが込み上げてくる。

「フハハハハ!」

「ぬ、鵺さん?」

「そうか・・・お前、頼久の女か?」

「えっ、ちっ違いますよっ!!」

顔を真っ赤にして否定する様が、山を染める秋の葉に似ていて好ましい。

「アイツに女が出来たなら祝ってやろうと思ったが・・・それは残念だな。」

「・・・すみません。」

「わからん娘だ。別にお前が謝る事ではないだろう。」

「そうなんですけど、何だか鵺さんの期待を裏切っちゃったみたいだから一応謝った方がいいかと思って・・・」

「人間はすぐに謝れば何をしても許されると思っているようだが、ただ謝れば物事が何でもすむ訳ではないだろう。」

「じゃぁどうすればいいですか?」

「それぐらい自分で考えろ。考えるだけ成長する生き物だろう?お前たちは。」



――― アイツも、面白いぐらいに成長したしな ―――





そのまま山道へつくまで、娘はうんうん唸りながら自分なりに考えながら様々な事を口にした。
それは馬鹿げた事だったり、的を外した事ばかりだったが、面倒とも思えるその言葉のやり取りも・・・不思議と嫌な気分にはならなかった。

「あ、じゃぁ・・・」

また何か思いついたのか、今度こそと息巻く娘の言葉を遮るように前を指差す。

「そこが山道だ。」

「え・・・あ、本当だ。道がある。」

「道なりに下ればお前を探している者がいる。もう迷うな。」

先導するように歩いていた紅葉が戻ってきたので軽く頭を撫で、そのまま踵を返し山へ戻ろうとしたオレの背に娘の声がかかる。

「あのっ・・・鵺さん!」

「・・・なんだ。」

「ひとつ、いいですか?」

「・・・?」

また何か馬鹿な事でも言うつもりか?
仕方なく立ち止まり娘の口から出る言葉を待つ。

「鬼に気をつけて・・・絶対、絶対気をつけて。」



――― コイツは一体、誰に向かってその言葉を吐いている



「・・・誇り高き鵺の一族。その最後の一頭であるオレに言っているのか?」

「心に留めておくだけでいいの!」

両手を握りしめて声を発する娘の前に、本来の姿で近づき大きな瞳で娘を睨む。

「たかが一度助けたくらいでつけあがるな、娘!二度と森に近づくな。」

それでも全身を小刻みに震わせながら娘は擦れる様な声を絞り出し不愉快な言葉を紡ぐ。

・・・鬼、に・・・気をつけ・・・
て・・・

「まだ言うかっ!!」

羽を広げて空に舞い上がると、その突風に煽られた娘は山道に続く緩い斜面を転がり落ちた。
そのまま娘を見下ろしつつ、再び人の姿を模し・・・不機嫌な声を投げつける。

「オレが地に足をつける前にオレの前から去れ。」

「・・・」

しかし山道に転がり落ちた娘は、ピクリとも動かない。
それを心配した楓と紅葉が斜面を下り、娘の顔や手を舌で舐めるが・・・動かない。

「・・・」



――― このまま、去ればいい



鵺に忠告をする人間など、そのまま捨て置けばいい。

だが、心にあの眼差しが焼き付いている。
まっすぐオレを見つめ、何かを挑むような真摯な瞳。



「ちっ・・・」

舌打ちをしながら娘の側に舞い降り、横たわったままの娘の頬を叩く。

「おい、娘。」

「・・・」

「こんな所で死なれたら、あのクソ真面目な頼久が煩い・・・起きろ。」

「・・・」

まったく、本当に人間は手のかかる生き物だ。
小さくため息をつくと、不本意な言葉を口にする。

「分かった・・・お前の忠告、この鵺の心に留め置いてやる。だから目を開けろ。」

そう耳元に呟くと、娘の瞼が小さく揺れ・・・ゆっくり瞳が開いた。

「・・・ぬ、え?」

焦点の定まらぬ瞳でオレを見つめ、震える手でそっとオレの方へ手を伸ばしてきた。

「鵺は・・・いつでも、鵺の・・・ままで・・・」

「・・・当たり前だ。」

「そう、だよ・・・ね」

頬を引き攣らせながらも微笑もうとする姿に、どこか心惹かれるものがあった。
力なく落ちそうになる手を握り、再び気を失うよう瞳を閉じかけた娘に声をかける。

「お前、名は何と言う。」

「・・・な、に?」

「名前だ。」

「・・・

、か。頼久以来楽しませて貰ったぞ。」

「そ・・・う?」

「あぁ、その礼に山道と人里の境ギリギリまで、この鵺がお前を連れて行ってやろう。」

「え・・・?」

「だがその代わり、ひとつ約束しろ。」

「?」

「・・・頼久にオレがここにいる事は言うな。」

「ど、し・・・て?」

「大文字山にオレがいると知れば、アイツの事だ。時間が出来たらすぐオレの邪魔をしに来るに違いない。オレはのんびり過ごしたいんだ。」

の髪についた葉を取り除きながら、オレは紅葉と楓に先に帰るよう促す。
紅葉達の姿がなくなったのを確認してから、の体を横抱きに抱きかかえると山道をゆっくり歩き出した。

「いいな、頼久には言うなよ。」

「・・・はい。」

再度、念を押すと・・・は、山桜が咲き誇るような眩しい笑みを浮かべ頷き、そのまま気を失った。





たった一頭の鵺

けれど、その心に残るは二つのまっすぐな瞳の持ち主
消えぬは二つの真摯な声



我の名を呼ぶのは、この者だけ

そして我が応えるのも、この者だけ・・・





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何故か出来てしまった鵺夢(笑)
もともと原作で大好きな話なんですが、アニメで素敵鵺を見てしまった所為か・・・このネタが頭に浮び、こうして皆様の前にお目見えする形となりました。
ただ鵺に、鬼に気をつけて、とひと言を言いたいが為に思いついた話だったんですけどね(苦笑)
どうやら鵺が気に入ってくれたらしいので、もし出来たら何にも関係ない鵺夢をまた書きたいと思います。
アニメで鵺の声をあてて下さったのが森川さんです。
そりゃもう素敵で!!すっかりあの姿にメロメロになりました(笑)
三木さんの挿入歌も良くて、初めて歌に惹かれてCDを買ってしまいましたよ(笑)

ちなみにこの話は、ヒロインが京へやって来て、頼久が神子のお側に控えている頃です。
多分、気分転換にとか言って頼久以外の八葉が連れてきてくれたんだと思います。
(永泉とイノリとか、ついうっかり目を離してくれる人が好ましい(笑))
ヒロインは鵺が怨霊となる原因を知ってるのでそれを注意した、と言うコトで。
・・・ゲーム中心で書くはずが、微妙に原作も混じりはじめてますね(苦笑)
困ったものだ。(遠い目)