「失礼します!」
「え?」
驚く間もなく部屋に飛び込んできた少女は、視線を素早く動かすと床に置いてあった僕の黒衣の下にもぐりこんだ。
「あたし、いませんから!」
「・・・さん?」
「お願い、少しの間でいいの・・・」
口元に指を立てて必死な顔でお願いする姿を見たら、用件を問う気も失せてしまう。
「分かりました。」
苦笑しつつ黒衣の前に腰を下ろして彼女を背中に隠すと同時に、ある人物がさんと同じように部屋に飛び込んできた。
わざとらしくゆっくり顔を上げ、飛び込んできた彼が部屋へ足を踏み入れる前に片手を伸ばしてその動きを制する。
「何事ですか、ヒノエ。」
「あんたには関係ないね。」
「そんな訳にはいきません。」
「あぁ?」
「先程のような勢いで部屋を歩き回られては、ここまで調合した薬が全て無駄になるじゃありませんか。」
足元に広がる数種類の薬草は半分以上が粉末状になっている。
別に歩くくらいじゃ大して粉も舞い散りませんけど、今はこちらに来られると困りますからね。
これくらい言っておけばヒノエは動かないはずです。
予想通り、ヒノエは小さく舌打ちすると踏み出しかけた足を元へ戻し、改めて僕に問いかけてきた。
「ちょっとした隙に小鳥が飛び出しちまってね。まさかとは思うがあんた、知らないかい?」
「生憎、何処かの別当殿の申しつけでこの部屋から一歩も外に出ていませんからね。」
本当は何度かさんにご挨拶しようとヒノエに声をかけたんですが、全部却下されたんですよね。
全く、熊野別当という地位につきながらも、お気に入りの物は全て自分の懐へしまってしまうんですから、いい性格です。
「ある部屋以外は自由に動けるだろ?」
「そこ以外にここへ来る用はないんですよ。」
にっこり笑みを浮かべてそう言えば、ヒノエも意地の悪そうな笑み浮かべ話をそらす。
「まぁいいさ・・・で、あとどれくらいかかる?」
「あと半時も頂ければ・・・」
「へぇ・・・相変わらず手際だけはいいんだね。」
「お褒めにあずかり光栄です・・・と言えば満足ですか?」
「ホンッと、あんたほど嫌味なヤツ見た事ない・・・」
「探し物が万が一にも僕の所へ来たら、ちゃんと別当殿の元へお届けしますよ。」
「・・・」
ヒノエの言葉を途中で遮り、視線を手元へ戻して再び薬研を動かし始める。
暫く僕の様子を伺っていたヒノエだが、仕事に集中していると考えたのか、音もなく部屋を出ると外に控えていた部下を従えてここを離れて行った。
――― 部下を使ってまで探すなんて、本当に大切にしているんですね
そんな事を考えながら、周囲に鳥の鳴き声と波の音だけが聞こえるようになった頃、僕は背中に隠していた熊野別当殿の宝物へ声をかけた。
「もう大丈夫ですよ、さん。」
けれど黒衣の下から彼女が出てくる様子はない。
「・・・さん?」
薬研から手を離して黒衣をそっと持ち上げると・・・そこには小さく丸まって休んでいる少女がいた。
「全く・・・君は本当に僕の想像とは違う行動をしてくれますね。」
熊野別当であり、熊野水軍の頭領でもあるヒノエをあそこまで翻弄させる女性を見たのは初めてです。
姫君が部屋を飛び出しただけであんなに慌てるなんて・・・ヒノエもまだまだ子供ですね。
くすりと笑いながら、さんの頬に髪がかかっていたので、それを払おうと手を伸ばす。
僅かに触れた指が、柔らかな彼女の頬に触れた。
その瞬間、何ともいえない甘い吐息が・・・艶やかな唇から洩れる。
「ん・・・」
一瞬、動きが止まる。
まだ幼い少女・・・けれど、その表情やまとう空気は僕を捕らえて離さない。
「いけない人ですね・・・君は。」
ヒノエだけではなく、僕まで魅了するつもりですか?
頬に落ちた髪をはらい、その手を彼女の頭へのせる。
まるで絹のような柔らかな髪の感触が、少し荒れた手に優しく触れる。
「ふふ・・・ヒノエが慌てる気持ちが、少しわかる気がします。」
眠っている姿すら、まるで幻想の世界から舞い降りた天女を表しているようで・・・この手がこうして体に触れていないと存在を確かめられない。
――― 弁慶 ―――
あどけない笑みを浮かべ、僕の名を呼ぶ彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
そしてそれを ――― 愛しい ――― と、思う自分がここにいる。
「今度からは逃げ出す先を、もう少し選ばないといけませんよ。」
僕はヒノエのように優しい人間じゃありません。
君が何を言っても・・・この手に抱こうと思えば抱く事が出来るんです。
「例え、誰が反対したとしても・・・ね。」
だけど、今、このひと時だけはその気持ちを封じてしまいましょう。
折角君が自ら僕の腕の中に飛び込んできてくれたこの機会、上手く活かさないといけませんからね。
彼女の髪に指を絡め、そのまま口元へ運び口付ける。
「・・・」
届く事の無い彼女への呼び声。
けれどいつか・・・そのあどけない笑みが、花開くのは僕の腕の中であって欲しい。
彼女を見ていたら、そんな想いを抱かずにはいられない。
この話を書いた頃から、弁慶が真っ黒になりました。
おかしいなぁ・・・一応白い弁慶を最初は目指していたはずなのに、この話以降は彼を止められなくなりました(苦笑)
取り敢えず、機会があればあっという間にどうにかしてしまおうと思ってるぐらい気に入ってるみたいです。
それでも一応信頼を損なうような馬鹿な真似はせず、着実に彼女の中での自分の地位を固めて・・・時期が来たら、ヒノエの前からでもにっこり笑顔で攫うつもりです、この人は。
思わず頑張れ、ヒノエ・・・と、言いたくなるのは私だけではないでしょう。
更に今後、他の八葉とも合流するようになったら・・・どうなるかサッパリ予想がつきません(書いてないから分かるはずもないけどね(苦笑))