「うぅ〜〜…びしょ濡れ」

突然降り出した雨に文句を言いながら、軒下に逃げ込みバッグの中からハンカチを取り出そうとした瞬間…うっかり手が滑ってハンカチは、あっという間に水溜りの中。

「ああああっ!?うっそ!?」

それを拾おうとしゃがんだ瞬間、隣から微かに聞こえた声。

「ぷっ」

見上げた先にいたのは、つい見惚れてしまうような…カッコイイお兄さん。
でも、そのお兄さんは口元を押さえながら肩を震わせている。



――― 笑われて、る?



「うっ…」

カッコイイお兄さんの前で、恥ずかしい!
どうせ出会うなら、こんなびしょ濡れ状態じゃない時…いやいや、せめて間抜けなとこを見られていない時が良かったよっ!

心の中で叫びながらその場を逃げるように駆け出そうとすると、足を踏み出す前に手を取られた。

「おっと、待った」



うわーっうわーっ
手、手っ…つ、つかまれた。




男性に対してあまり免疫がないせいか、それとも相手がカッコイイからか、一気に顔が赤くなる。
ただ、手首を掴まれているだけなのに、心臓が止まりそう。

「あ、あのっ…あの…」

「大丈夫だって、別に取って食ったりしないから」

「と、とって食う!?」

「文句は店で聞くから、とにかくおいで…人魚姫」



今、なんて…?
に、人魚姫…とか言った?




いやいや、そんなこと素面で言う人いないだろ…聞き間違いだ…多分。

「そんなずぶ濡れでどこに行くか知らないけど、通り雨だろうから店で休んで行くといいよ」

「み、店!?」

お兄さんの外見から、どこに連れて行かれるのかと警戒したが、彼が示したのはあたしが雨宿り代わりに軒下をお借りしていた店だった。

「……ここって?」

「美容院シレーナへようこそ、人魚姫」



やっぱり、人魚姫って言ってたのか…聞き間違いじゃなかったんだ。
ってか、何ゆえ人魚姫?




そんなことを考えてるあたしの前で、お兄さんはお店のドアを開けたまま待っている。
一歩足を踏み出しかけたけど、いやいや、ちょっと待て
もしかして中に入ったら最後、勧誘されて、高額なローンとか組まされる…キャッチセールスかもしれない。

手元の財布の中身は微々たるもの。
給料日までこれでやりくりしなきゃいけないんだから、渡すわけにはいかない。

服が濡れているのも忘れてぎゅっとバックを胸元に抱きかかえると、今度は笑いを堪える事無くお兄さんが笑い出した。

「はははっ…人魚姫っていうよりは、迷子の子猫みたいだね」

「子猫…」



さっきから人魚姫だったり、子猫だったり…なんか扱いおかしくないか?



「別に店に入ったぐらいでお金を取ったりする気はないけど…警戒しているのは、よぉ〜くわかった。ちょっとそこで待ってて」

ドアが閉まってすぐ、暗かった店内にパッと灯りが灯った。
白で統一された店内に、好みのインテリア。
いくつかある鏡の前には、美容院特有の椅子や洗面台。



――― 本当にここ、美容院だったんだ



あ…テーブルに最新刊のFataがある!
あれ、読みたかったんだけど、コンビニに置いてないんだよね。
額をガラスに押しつけそうな勢いで店内を観察していると、耳元へ囁くように声をかけられ、思わず悲鳴を飲み込む。

「お待たせ」

「っ!!」

「本当は雨が止むまで店にどうぞって言いたかったけど、なんか警戒されてるみたいだからね。これ、タオル…それと傘。別に返してくれなくても構わないよ」

「そんなわけには…」

「うん、そういうだろうと思った」

にっこり笑顔で微笑むと、あたしの返事を待ってからタオルの上に一枚の名刺を置いた。

「返しに来る時は連絡頂戴。サービスするよ」

受取った名刺を見て、小声で書かれている文字を呟く。

「シレーナ店長…」

神尾玲人…ということは、この人は。

「……店長さん」

「店長さん…ま、間違いじゃないけどね」

苦笑いしつつ、店長さんが傘を広げてそれを手に握らせてくれる。

「気をつけて、子猫ちゃん」

普通に聞けば恥ずかしい台詞のはずなのに、妙に耳に心地よい。
ううん、心地よいというか、なんだか…背筋がぞくっとする声。
今まで声をそんな風に感じたことがないけど…なんでなんだろう。

だから、かな…この時、あたしは普段だったら絶対しない行動に出てしまった。

「子猫じゃありません、です」

ドアに寄りかかってあたしを見ている瞳が、一瞬細められた気がした。

「へぇ…いい名前だね」

「ありがとうございます…」

「それじゃあ、さん…かな」

「はい?」

ちょいちょいと手招きされたので、傘を差したまま店長さんへ近づく。
すると、傘をぐいっとつかまれた拍子に、耳元に雨の音よりもハッキリと聞こえる距離で、甘い声が聞こえた。

「来てくれるの、待ってるよ…さん」

「っ!!」

「はは、顔真っ赤だね。その調子なら、身体冷やすこともないかな?」

「え、あ、はい…おかげさまで…」

「それじゃあ、気をつけて」

今までの雰囲気が嘘みたいに、爽やかな笑顔で見送られる。
少し歩いて振り返ると、彼の姿はもうそこにはなかった。

けれど、彼の視線がなくなぅても、鼓膜に焼きついたかのように声が…耳に、頭に残る。





そしてあたしは、その声が忘れられず…後日、シレーナの扉を開ける。

――― 自分の、意志で





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2009web拍手、名前変換入れて手を加えて再録。
あー…そっか、去年は銀の冠碧の涙をやっていたのか、梅雨の時期(笑)
多分、今もう一度やったとしても、神尾さんが一番好きです。
…可愛いから、最後が。
途中なにがあろーともっ!!(苦笑)
基本、何の作品を書くにしても、後付だったりしたりもしますが、出会いはどれも考えています。
という訳で、神尾さんは雨の日の、この話がきっかけで出会うのです。
あー…なんか話書きたいなぁ…久々に。