1.恋に落ちた瞬間
いつからかなんて分からない。
でも、気づいたら心の中にあなたの場所が出来ていた。
「ボーっとしてんなよ。」
苦笑しながらポンッと頭を叩いてその手を差し出してくれる。
「あはは、ごめんね。」
差し出された手に手を重ねて、ぎゅっと握ればそれよりも強い力で握り返してくれる。
「ンじゃ、行くか!」
「うん!」
普段は凄く大人っぽい笑みを浮かべる事が多い悟浄。
でもね、最近あたしに笑いかける笑みが凄く柔らかいって事、気づいてる?
友達に連れられて行ったお店の中心で沢山の男女に囲まれてた悟浄。
「うっわ〜・・・すっごい人だかり。」
「あぁ悟浄ね。あの人、手が早いからも気をつけてね。」
「あ゛ーあたしそういうのダメ。」
元々男性が苦手だったあたしから見た悟浄の第一印象は・・・絶対知り合いになりたくないタイプ。
苦手な人には不用意に近づかない・・・をモットーとしていたあたしだけど、店の雰囲気や料理が好みにバッチリだったせいもあって、一ヶ月もたてばあたしは一人で店に行くくらいの常連客のひとりとなった。
勿論その一ヶ月間、悟浄と呼ばれている男の人は毎日同じ席、同じ場所で沢山の人に囲まれて笑っていた。
――― やっぱり、あの人苦手・・・
そんな風にカウンターでマスターを話しながら時折彼を眺めていたあたしに、ある日運命の神様は彼の意外な姿を見せてくれた。
「な、猫好き?」
店に入った瞬間、綺麗な赤い髪に視界を塞がれ一瞬言葉に詰まる。
「・・・は?」
「猫だよ、猫!」
距離を詰められ思わず後ろに下がると店の入り口に下げられている鐘がチリンと鳴った。
いつも遠くから眺めていた遊び人といわれる悟浄が目の前にいる事に驚いて、思わず呼吸も忘れる。
そんなあたしの様子に気づいたのか、カウンターにいたマスターが助け舟を出してくれた。
「おい悟浄、その子はダメだよ。」
「なーんでだよマスター!」
「お前みたいなヤツが付き合うタイプじゃない。」
そうですマスター!もっと言ってやって下さい!!
「別に付き合うとかそういうんじゃねェって!今日中にコイツらの引き取り先決めねェとオレの財布空になっちまう!」
「・・・こいつ等?」
「コイツラら!」
そう言って悟浄が指差した先にいたのはダンボールの中に入った5匹の子猫。
「うわっ可愛い。」
「だろ?雨降ってる時見つけて暫くオレのアパートで飼ってたんだけど、大家にばれちまって今日中に捨てて来いって言うンだぜ。」
酷い大家だよなぁ〜って言いながら真っ白な猫を抱き上げて目を細める彼は、いつも皆に囲まれてカードをやってる姿とはまったくの別人に見える。
「4匹はダチが貰ってくれる事になったんだけど、あと一匹貰い手なくてさ・・・」
「・・・どの子ですか?」
「コイツ。黒猫は不吉だって貰ってくンねェんだ。」
箱の中を覗き込むと、端っこで小さく丸まっている黒い猫がいた。
「オレがいっちばん手ェかけてたヤツだからさ・・・ヘタなヤツに貰って貰いたくねェんだよ。」
「じゃぁあたしじゃダメじゃないですか。」
「いや、アンタなら大丈夫。」
キッパリ言い切ると、悟浄は白猫を箱に戻して黒猫をそっと抱き上げた。
「いつも友達と来て、色んな話聞いてやって、時にはマスターの手伝いもタダでやってる。アンタ以上にコイツを大事にしてくれるヤツ、思いつかなかった。」
「なんで知ってるんですか!?」
隅のカウンターでいつも友達やマスターと喋ってるだけで、悟浄と喋った事なんてないのに!
「さぁね♪」
ニヤニヤ笑いながら黒猫のノドを撫でている。
あ、いつもの笑顔だ・・・カードをやってる姿をチラッと覗き見した事がある。
どんな勝負でも負ける事の無い、強い自信に満ちた目。
「で、どう?猫。」
「・・・少し、考えさせて下さい。」
「リョーッカイ。ンじゃ保留って事で。決心ついたら連絡チョーダイ。」
そう言うと悟浄はテーブルに置いてあったナプキンにボールペンで何かを書くとあたしの前に差し出した。
「これ、オレの携帯。午前中はカンベンな。」
「は、はい。」
ウィンクをしてそのまま踵を返してマスターの方へ向かう悟浄を見て、思わずため息をついた。
ちょうどペットオッケーのアパートに引っ越したから何か動物飼いたいなぁって思ってたし・・・あの黒猫はあたしの好みだ。
でもなぁあの人とつながりを持つのはちょっと遠慮したい。
自分をまったくタイプの違う相手といるのがどれだけ苦痛か、という事を知っているから・・・。
取り敢えず今日は帰ろうって思って再び店のドアに手をかけると、後ろから声をかけられ振り向く。
「なぁ!」
「はい。」
「オレは沙悟浄、アンタは?」
「は?」
「名前だよ、名前。名無しチャン?」
名無しなんて名前があってたまるか!思わずカッとなってドアをバンッと叩いて名前を名乗る。
「です!!」
「んじゃ、チャン。ご連絡、お待ちしてまぁ〜す♪」
腕に抱いていた猫の手を持って小さく手を振る姿が、いつもとまったく違っていて・・・初めて喋った男性だと言うのに思わず吹き出してしまった。
――― やだ、あの人って可愛い
「ぶっ!」
「・・・ンだよ突然。」
近くの公園のベンチに座りながらアイスを食べていたあたしが急に吹き出したので、悟浄が不審そうな顔でこっちを見た。
その何とも言えない顔がまたあの時の慌てた悟浄の表情と一致してひとしきり笑った後、その原因を悟浄に教えた。
「いやぁ悟浄と初めて会った時の事思い出してさ。」
「あぁ〜・・・」
「いつも綺麗なおねぇさんに囲まれてカードやってる悟浄が、必死な顔して猫の里親探ししてるの思い出したら面白くって・・・」
またもや笑いが溢れそうになって口元を押さえると、悟浄は苦笑しながら残っていたアイスを口に放り込んだ。
「あんときゃ必死だったからなぁ。」
「うんうん。」
「誰かサンと話すキッカケ作るので。」
「うんう・・・ん?」
猫の話から別の話に変わったのに気付いて思わず隣にいる悟浄の顔を凝視する。
「・・・毛色の違う猫が店に飛び込んできたその日からずーっと気になっててな。誰かのモンになる前に・・・捕まえなきゃって思った。」
そう言って照れくさそうに笑った悟浄の顔は、あたしが始めて悟浄に見惚れた笑顔と同じ。
あたし達を結びつけるキッカケとなった黒猫は、陽だまりの中大きな欠伸をしながら・・・拾ってくれた悟浄と、飼ってくれているあたしの帰りを待ちながらのんびり部屋で昼寝をしていた。