11.恋は盲目
「・・・いない。」
扉を開けてがっくりと肩を落とす。
仕事が早く終わったから部屋に遊びに来てみれば・・・学校を自主休校と言って眠っていた恋人は姿を消していた。
「今朝は今日一日寝てるって言ったクセに!!」
バシッと音を立ててバッグが壁に当たりベッド脇のサイドテーブルに落下し、色々な物と一緒に床に落ちた。
パンプスも脱ぎ散らかして、今朝高耶が寝ていたはずのベッドにそのまま飛び込む。
すっかり冷えた布団からは身近に感じるようになった高耶の香りが微かに残っている気がした。
「高耶〜・・・」
ジワリと瞳が潤み、仰向けに寝転ぶと両手をクロスさせて顔の上に乗せた。
「どこ行ったのよ・・・」
部屋の中は今朝からあまり変化がない。
変化があるとすれば、高耶が服を着替えた形跡があるだけだ。
「また連絡無しに出かけて・・・しかも携帯置いてってる!」
枕元に置いてあった携帯電話が何故か今の自分とダブって見えて、思わずそっと掴んだ。
「お前も・・・置いてかれたの?」
ふと画面に目をやれば、残りの電池が少なくなっている。
「・・・高耶の想い、じゃないよね。」
電池がなくなると自分への想いもなくなる・・・そんな不吉な考えにとりつかれかけたあたしは、即座に充電器へ携帯を差し込んだ。
充電を始めた事を知らせるランプがついた時、妙に胸がほっとした気分になったのは何故だろう。
「充電だけはちゃんとしてって言ったのに・・・馬鹿・・・」
つまらない事が頭の中をぐるぐる駆け巡り、緩んだ涙腺から涙が零れ始めた。
「馬鹿・・・馬鹿・・・高耶の馬鹿・・・」
ボロボロ零れる涙は何に対しての涙なのか。
部屋にいない高耶に対してか、充電を忘れた高耶に対してか、それとも・・・
「ばか・・・ばかばか・・・」
涙を手の甲で拭いながら、それでも想う気持ちは変わらない。
「でも・・・好き・・・」
「・・・何してんだ、お前。」
「え?!」
声に驚いて振り返ると、手に洗面器を持ってやけにさっぱりした様子の高耶が目に飛び込んできた。
「た・・・かや・・・」
「また何か失敗したのか?それとも食いすぎたか?」
洗面器を床に置いてスニーカーを脱ぐと、高耶はまっすぐあたしの所へやってきてそっと体を抱き寄せてくれた。
「・・・ったく、こんな風に泣くなって言ってんのに学習しねぇな。」
「だっっだって・・・高耶っが、いなかっ・・・た・・・」
高耶が部屋にいなかったから!
今日は家にいるっていったのにいなかったから・・・あたし、泣いてるのに!
ちゃんと声に出して言いたいのに、あたしの気持ちとは裏腹に声はかすれるばかりでちゃんとした音にならない。
そんなあたしをなだめる様に、高耶はしっかり抱きしめて頭を撫でてくれた。
結構な時間高耶に抱きしめて貰って落ち着いたあたしに、冷蔵庫のペットボトルを手渡した高耶はそのままその場に座り込んだ。
良く冷えた飲み物は泣きつかれたあたしのノドをあっという間に潤してくれて、ようやく普通に喋れるようになった。
「落ち着いた所で教えてもらおうか・・・何が馬鹿だって?」
「・・・高耶。」
「あぁ?」
「だって高耶が勝手にいなくなって、携帯も置いてって、しかも充電してなくて!!」
「っと、待て。俺はメモを残していったぜ?」
「は?」
突然の高耶の言葉に思わず疑問の声を上げる。
「それに今朝言ったろ?風呂が壊れたから日中銭湯に行くって。」
・・・そう言われれば、今朝出掛けにそんな台詞を聞いた気もしないでもない。
「携帯も充電が切れたから充電器にセットして置いてったんだ。そうすりゃ風呂から上がってすぐでも使えるだろ?」
「でもセットされてなかったよ!」
「っかしぃなぁ・・・」
その時ふと、脳裏に部屋に入った光景が浮かんだ。
高耶の姿がなかった・・・その後あたし、何やった?
「・・・にしても何でこの辺こんなぐちゃぐちゃになってんだ。あーぁコーヒーこぼれてんじゃねぇか。」
ブツブツ言いながらその辺のシャツで拭い始める高耶を止める手は・・・今のあたしにはない。
だってだって・・・ベッドサイドを荒らしたのはあたしが投げたハンドバッグなんだもん!
それに高耶がいないって怒ってたけど、実際はちゃんと伝言残してくれてて・・・つまりあたしが一人で勘違いしてたって事でしょ!?
「あああっ・・・」
「・・・って、またお前妙な事考えたんじゃねぇだろうな。」
高耶の手に持っているペットボトルが嫌な音を立ててへこんだ。
や、やばい・・・。
「なぁ、ベッドサイドの片付けとシャツの洗濯・・・誰がやるべきだ?」
微妙に声が低い高耶が、コーヒーをふいたシャツを手にあたしの前に差し出している。
しらばっくれるべきか・・・それとも・・・
「・・・?」
高耶の目が心の奥底をのぞき込むように近づいてくる。
蛇に睨まれた蛙・・・ううん!虎に睨まれたウサギでもハムスターでも鳥でもなんでもいいやっ!
とにかく高耶の目に吸い込まれるように体の力が出なくなって、思わず息をするのも忘れた。
「あっ・・・あたしがやらせていただきます!」
やがて高耶の鼻先があたしに触れそうになった瞬間、金縛りが解けて一気に後ろに逃げる。
これ以上は心臓が耐えられない!!
「んじゃ迷惑ついでにメシも頼むな。腹減ってんだ、俺。」
イタズラっ子みたいにニヤリと笑ってベッドに横になった高耶に向けて、苛立ちをぶつけるように手近なクッションを投げつけた。
けれどそのクッションは高耶の手前に落ちて、彼に届く事はなかった。
いつもなら気付くはずの小さな変化。
いつもならこんなミスはしないって自信はあるのに・・・
高耶の前じゃいつだってミスばっかり。
どうしてあたし、高耶に関してはこんなに馬鹿なんだろう。
・・・よっぽど高耶の事、好きみたいじゃない。