14.愛のしるし
「ん・・・」
重い瞼を開けて大きく伸びをする。あ〜・・・久し振りにゆっくり寝た。
そのままいつものようにベッドを降りようとして、自分が眠っている場所がいつもと違う事に気づいた。
何処からどう見ても高級そうな内装。
1Kの部屋とは思えないほど広々とした部屋、大きな窓。
そしてパイプベッドとは思えないほどふかふかのベッド。
何より・・・どう見ても一人で寝るには広すぎるキングサイズのベッド。
「え゛」
パニックする頭を抱えてベッドの上で唸っていると、カチャっと音を立てて部屋の扉が開いた。
「おはようございます、さん。」
「な、直江さん!?」
「ちょうどいいタイミングでしたね。今ルームサービスを頼んだ所なのですが、ご一緒しませんか。」
「あ、あの・・・」
とにかく何があったのか聞こうとベッドから降りたあたしを見て、直江さんが僅かに視線を逸らすと椅子にかけてあったバスローブを投げた。
それを受け取って首を傾げると、直江さんはあたしを指差しながらいつも見せる穏やかな笑みを見せた。
「とても魅力的な姿ですが・・・少々刺激的過ぎますね。」
「え?」
反射的に自分の姿を確認する。
――― な、なんであたしこんなカッコで寝てんの!?
バスローブを着るよりも慌ててベッドの中へもぐりこんで一生懸命記憶を辿る・・・けど、なんにも覚えてない。
・・・まさかっっ!!
「さんがよければ此方に洋服をご用意させて頂きました。私の見立てですが、きっと似合うと思いますよ。」
「は?」
「貴女の服は今、ホテルのクリーニングに出していますから。」
「クリーニング?」
・・・なんで???
ひょこっと顔だけだして直江さんの方へ視線を向けると、隣の部屋・・・に続いてるらしい扉の前に寄りかかるように立って腕を組んでる。
――― なんていうか、高そうなホテルなのに違和感なくいれる人だなぁ
じーっと顔を見て色々考えているあたしを見て何を勘違いしたのか、直江さんが洋服の入っている袋を手にゆっくりこっちにやってきた。
「・・・お手伝いしましょうか?」
「けっっ結構です!」
「遠慮しなくてもいいですよ。」
「してません!ひとりで出来ます!」
目の前までやってきた直江さんから袋を奪い取るとそれを抱えて亀のように布団の中へ再びもぐりこむ。
「・・・では、あちらでお待ちしていますよ。」
ぽんぽんと布団越しに頭を叩かれて、扉の閉まる音を聞いてからゆっくり顔を出す。
「・・・わ、訳わかんない。」
目が覚めたら高級ホテルっぽい所に何故か直江さんが一緒にいて。
ベッドはどうみても一人で使ったようには思えなくて、あたしはありえない格好。
そしてあたしの洋服はクリーニングに出てて、微妙に頭が痛い。
考えなきゃいけない事はあるはずなのに、それよりも先に人間の三大欲求のひとつでもある空腹が自己主張を始めた。
仕方なく直江さんが用意してくれた自分じゃ絶対買わないような清楚なイメージのワンピースに袖を通した。
・・・うわぁブランド知らないあたしでも知ってる所の服じゃん、これ!
しかも生地がすっごい柔らかくて着心地がいい・・・それに、何であたしのサイズ分かるの?
身長のワリに胸のサイズが大きいあたしは自分に合う服を探すのが難しい。
それなのに直江さんが用意してくれた服は、あつらえたかのようにピッタリだ。
「・・・今は考えるのよそう。」
考えても何も分からない。
そう思ったあたしは鏡の前で一応おかしな所がないか確認してから、直江さんが出て行った扉をゆっくり開けた。
「よくお似合いですよ。」
「ありがとう・・・ございます。」
隣の部屋はよくテレビで見るスイートルームにありがちな大きなテーブル。
その上にはコンチネンタルブレックファーストが所狭しと並べられている。
そして何故か・・・給仕係のような人までいる。
あたしは一体何処にいるんだ!?
「飲み物は何になさいますか?」
「ほぇ?」
座る時に椅子を引いてくれて、尚且つそんな事を朝っぱらから聞かれる事なんかない。
だってあたしの朝食メニューと言えば・・・コーヒーとパン、もしくは食べないかのどっちかだもん。
思わず給仕係のお兄さんの顔を見て首を傾げていたら、直江さんが目の前にメニューを差し出してくれた。
「リストの中から好きな物を選んでください。」
「・・・え、えっとじゃぁりんごジュース。」
「かしこまりました。」
「ここのコーヒーは厳選されたいい豆を使っているのでお勧めですよ。」
直江さんがトントンとスペシャルブレンドコーヒーを示したので、それもついでに貰う事にした。
普段のあたしなら高そうなホテルで飲み物を飲むなんて事絶対しないんだけど、今の夢見たいな現実がいまいち実感できなくて、直江さんが言うままに出された物を食べて飲んで・・・ようやく落ち着いた。
「それでは失礼いたします。」
「あぁ。」
食べ終えた食器を全て片付け、給仕係のお兄さんは出て行った。
さっきまで山程の食事がのっていたテーブルには、食後のコーヒーだけが残っている。
「すみませんが煙草を一本吸っても構いませんか?」
「あ、はい。どうぞ。」
側にあった灰皿を直江さんへ差し出すと、小さな声でスミマセンと言ってそれを受け取った。
直江さんの事は幼馴染の高耶の知り合い・・・としか知らない。
つい最近高耶とずっと一緒にいる背の高いカッコイイお兄さんっていう認識が大きいかな。
向こうもあたしの事を覚えてくれたのか高耶と一緒にいる時とか、町で偶然会った時に「さん」って声をかけてくれるのがすっごく嬉しかったのを覚えてる。
憧れの、お兄さん・・・なんだよね。
子供みたいな高耶と違って、こんなあたしでもちゃんと大人の女性みたいに扱ってくれる。
初めて車に乗せてもらった時、扉を開けてくれて、降りる時にはまるでお姫様をエスコートするみたいに手を差し出してくれた事、絶対に忘れない。
なのに・・・なのに・・・どうしてあたしはその直江さんとこんな所に、あんな格好でいたの?!
ふと、馴染み深くなった煙草の匂いに気づいて顔を上げると、直江さんが指に挟んだままじっとこっちを見ていた。
「?」
「・・・何も、覚えていませんか。」
「・・・え?」
「覚えて、いらっしゃらないみたいですね。」
直江さんの言葉に持っていたコーヒーカップを机に戻して小さく頷くと、直江さんは小さくため息をついてからあたしがずっと知りたかった昨夜の出来事を教えてくれた。
久し振りに会った親友の光と飲んでいたあたしは、たまたまに入った店で直江さんを見つけたらしい。
仲良しの光と憧れの直江さんと一緒に飲むという事になって、浮かれたあたしはいつもよりも速いペースで飲んだ結果・・・出来上がってしまった。
途中で光が職場から呼び出しを受けてしまったので、直江さんが潰れたあたしの面倒を見てくれる事になったらしいんだけど・・・そこでまたあたしはやらかした。
飲みすぎて気持ち悪くなって・・・直江さんに介抱して貰ったらしい。
一歩間違えば急性アルコール中毒になる所だったみたいで、近くにあったこのホテルに急遽宿泊する事になった・・・というのが、このホテルに泊まるまでの経緯らしい。
――― 穴があったら入りたい、というか今すぐこの場から逃げたい
それでも目の前の直江さんを残してそんな事できるはずも無く、今のあたしに唯一出来る事を実行に移した。
「ご迷惑・・・おかけしました。」
――― ひたすら謝る事
膝に頭がつきそうなくらい頭を下げると、直江さんに止められた。
「そんなに謝らないで下さい。これくらいなんともありません。ただ・・・」
「た、ただ?」
「手足が冷え切っているのに、部屋に入るなり突然脱ぎだして・・・」
「ああああっっ!!!」
「部屋中を走り回ったり、ベランダに出ようとしたり・・・」
「きぃやぁぁぁっっ!!!」
覚えてないけど改まって言われるとすっごい恥ずかしい!!
そっか!この頭の痛みは二日酔いか!!そういわれてみれば馴染み深い痛みだ!
「それに私はソファーで休みますと何度も言ったんですが・・・」
「ぎゃーーーっっ!!」
まさかっっまさかっっ!!
青森名産のリンゴに負けないくらい顔を赤くして、指の隙間から直江さんの様子を伺う。
直江さんは顔色も変えず困ったようにため息をつくと、あたしが一番聞いてはいけない事をあっさり言ってくれた。
「そのまま同じベッドで朝まで休ませて頂きました。」
数時間前の自分!出来るなら殴らせろ!!
よりにもよって憧れの人の前でそんな醜態見せなくてもいいじゃん。
あーもぉー・・・これから直江さんが来てる時、ワザと高耶の部屋に遊びに行ったり出来ないよ。
恥ずかしくて顔も上げられない。
膝の上でギュッと両手を握り締めて、これからどうすればいいのか考えていたら、ふと近くで煙草の匂いを感じた。
それと同時に膝においていた手に重ねられた、手。
「順序が狂いましたが・・・」
「?」
「こんな事でもない限り貴女と二人きりになれる事はありませんから・・・」
「??」
いつも優しい笑顔を向けてくれていた直江さんの顔が、知らない男の人みたいな顔に見える。
それが急に怖くなって握る手が微かに震え始めた。
「怖がらないで・・・何もしません。」
「・・・」
泣いている子供を前にして戸惑うような直江さんの表情。
目が覚めて数時間しか一緒にいないのに、今までこっそり見ていた時よりも色んな表情・・・見てる気がする。
「さん。」
「はっはい!!」
「私のような者が貴女へこんな事を言うのは・・・おかしいかもしれません。」
「?」
「高耶さんの部屋に時折現れる貴女は、まるで春の日差しを運ぶ妖精のようでした。私の暗く冷え切った心に、暖かな風と香りを運んできてくれた。」
「・・・」
「それから、いつも貴女の姿を視界に探すようになりました。高耶さんの部屋で、街中で・・・車を運転して流れる景色の中でも貴女を求めるようになりました。」
――― 胸が、苦しい。
こんな風にまっすぐ男の人に見つめられて、こんな事言われたことない。
「初めて出会った時から・・・貴女の事が忘れられませんでした。」
「直江、さん・・・」
・・・頭は真っ白なのに、直江さんに握られてる手の平は汗かいちゃいそうなほど熱い。
心臓はドキドキしていつ止まるかわかんないし、喉はカラカラに渇いてる。
「応急手当の為、ここへ宿泊したのは本当です。あのままでは本当に病院へ搬送しなければなりませんでしたからね。ですが、手当てを終えて眠る貴女を見ていたら・・・帰したく、なくなったんです。」
いつも大人で、落ち着いている直江さんしか知らなかった。
こんなに熱い想いを抱く人なんて・・・あたしは、知らない。
「貴女が好きです・・・愛していると言ってもいい。」
「!!!」
貴女が好きです・・・愛していると言ってもいい。
カミサマ、憧れの人に、手の届かないと想っていた人に想われるというのは・・・
こんなにも幸せで、胸が苦しくなる事なんでしょうか。
「ですが・・・っ?」
その後も何か言おうとしていた直江さんの言葉も聞こえず、固まっていた両手を伸ばして直江さんに正面から抱きついて叫んだ。
「あたしも直江さんが好きです!初めて会った時から、ずっと・・・ずっと!」
「・・・さん。」
「直江さんから見たら高耶と同じ、まだまだ子供に見えるかもしれないけど・・・でも、何処の誰にも負けないくらい直江さんが好きです!!」
もしも直江さんに告白するなら、大人っぽい直江さんに合わせて余裕のある台詞を口にしようって思っていっぱい練習した。
何パターンも告白を考えたけど、結局どれも実際には口に出来なかった。
「ありがとうございます ――― 」
ギュッと抱きしめられて耳元に微かに届いた直江さんの声。
それは今まで聞いたどんな名前よりも愛しさがこめられていて、自然とあたしの瞳が涙で潤む。
想いが通じる事で、互いの胸に生まれた温かなモノ
「愛」って、これの事なのかな?
直江さんの愛車ウィンダムで送ってもらってる時、ある事を直江さんに教えられた。
――― むやみに異性から物を受け取ってはいけません
いつも高耶に色々貰ってるよって言ったら、それとはまた別ですって言われた。
質問されてから暫くずーっと考えてたんだけどそれでも分からなくて、両手をあげて「降参」って言ったら、信号待ちの時に直江さんがこっそりその意味を教えてくれた。
「・・・え!?」
「ですから、私以外の人間からむやみに物を受け取らないで下さい。」
――― 今、自分がどんなに危険な物を身に付けているのかを知った瞬間だった。