「・・・あれ?、免許取ったの?」
大学で友人に声をかけられて、手に持っていた免許証を自慢げに見せびらかす。
「この間、休みの時に短期合宿に行って取ったんだ。」
「えー!?何で!?」
「・・・ちょっとね。」
苦笑しながらテーブルに置いていたコーヒーに口をつけて眉を寄せる。
――― 苦い
「あぁそう言えばの家に車あったんだよね・・・何だっけ、ほら、あの・・・」
「・・・レパード。」
「そう!それ!」
あたしが車種を口にすると嬉しそうに手を叩いて、今度ショッピングに行く時に車に乗せてくれと友人が騒ぎ始めた。
「あ、そうだ!が免許取ったんなら今度・・・」
楽しそうに話す友人とは裏腹に、あたしの心は別の事を考えていた。
今あたしの住んでいる部屋の本当の持ち主、そして部屋に置いてある写真立ての中であたしを抱いている、男の人の事を。
その様子から絶対に彼氏か親しい友人だ。
そう思って大学の友人や古い友人に連絡を取ってみたけど誰も知らないと言う。
ただ、大学に入ってからいつもあたしの側に誰か男の人がいたと言うのは皆が口を揃えて言う台詞だ。
「いつもの側に・・・いたのよね。」
「俺達が近づくと睨まれた・・・覚えがある。」
そう言ってくれた人に写真を見せたけど、皆首を横に振ったり首を傾げたりするだけ。
――― 誰も・・・あの人の事を知らない。
それなら全部無かった事にして、無視しちゃえば楽になれるのに・・・どうしてだろう。
あたしはいまだにあの人を探し続けている・・・優しくて、何処か寂しげな目をしたあの人を。
小さくため息をつくと飲みかけのコーヒーと荷物を持って立ち上がった。
「ごめん、まだ運転慣れてないから乗せられない。」
「ちゃんと保険入っとくから!」
「ひとつじゃ足りないよ。」
持っていた雑誌でバーゲンの日程を調べていた友人は、イタズラっぽく笑いながら両手を合わせて頭を下げた。
「ねぇ〜お願い!ちゃん!様!!」
その姿が、記憶の中の誰かと一瞬重なり ――― 消えた。
「・・・だーめ。10年後にどうぞ。」
「もぉ〜・・・じゃぁ今度ね!!」
「はいはい。」
適当に返事をして友人に背を向けると、そのまま学食を後にした。
外に出ると日当たりのいい場所のベンチが空いていたので、そこに荷物を置いて次の講義が始まるまで時間をつぶす事にした。
手に持っていた飲みかけのコーヒーをじっと見つめ、小さく深呼吸をしてから口をつける。
液体を口の中に含んだ瞬間目の前に現れる・・・柔らかな笑みを浮かべた男性。
髪をひとつにまとめ、インテリ風のメガネをかけ、白いシャツを着てこっちを見ているのは、部屋に置いてある写真立ての中にいるあの人。
口元を僅かに緩め、まるであたしが無理して飲んでいるのを笑っているかのよう。
そうだよね・・・だってあたし、いつもカフェオレばっかり飲んでるんだもん。
こんな無糖の缶コーヒーなんて・・・買わないよ。
気を許した瞬間、ゴクリと音を立ててコーヒーがノドを通っていく。
すると、先程まで鮮明に見えていた男性の姿は目の前から消え・・・数人の学生が目の前を横切っていった。
そうして今まで自分の意識が何処か別の所へ行っていた事を知る。
部屋の物を手にする度、何かをする度に脳裏に現れる彼の姿に・・・心が引き裂かれそうになる。
「・・・誰なの、本当に・・・」
中身の残ったコーヒーが手を離れ地面に落ちる。
それと同時に溢れ出す・・・涙。
あの日からずっとずっと胸の中に大きな空白が出来ている。
何をしても、誰と一緒にいても埋まらない、大きな空白。
自分が何かを失った、と言う事は分かる。
そしてそれがあの写真の人物だ、と言う事も。
けれどそれが誰だかわからない。
分かるのは写真に残る姿だけ。
「誰か・・・教えて・・・」
免許を取った日から、時間が許す限り車を走らせた。
ひょっとしたらこの車を見て、あの人が気付いてくれるかもしれない。
何処かであの人を見つけられるかもしれない。
そう思って講義とバイトの合間を縫って・・・走り続けた。
けれど、何の手がかりも得られない。
「教えてよ・・・」
ポケットから取り出した車の鍵を握り締めても、それは死んだ貝のように冷たく・・・今のあたしに何も教えてはくれなかった。