29.溜め息











「はぁ・・・」

今日何度目か、と言うか今週に入って何百回目になるか分からないため息。



――― 悟浄さんと連絡が全然取れない。



電話をしても留守電になっていて出てくれない。
ひょっとして忙しいのかと思ってメールを送ってみたけど返事がない。
まさか具合が悪くて倒れてるんじゃ!と思って一度住所を頼りに家まで行ったけど・・・留守。
ダメだと思いつつもここ2、3日は仕事の机に携帯を置いている。
ここにあの人の名前が出る事を願って・・・。

「・・・おいっ!」

「はっはい!」

機嫌の悪そうな上司の声に我に返り、顔を上げると今にも怒鳴りだしそうな三蔵さんがいた。

「最終日だってのに余裕だな。もうそっちの集計は終わったのか?」

「あっあと少しです。」

いけない!明日で花喃さんが戻ってくるからそれまでにやりかけのこの仕事を終わらせなきゃ。
頭を振って今だけ悟浄さんの事を忘れる・・・忘れ・・・られないけど、忘れる。

再び視線をパソコンの画面に戻したら、紙切れが一枚目の前に落ちてきた。
何だろうと思ってそれを見ると・・・走り書きで食べ物の種類が書かれていた。
その字はここ1ヶ月毎日見ていた人の筆跡で、思わず首を捻りながら背中を向けていた上司に声をかけた。

「三蔵さん!何ですか?これ。」

「どれでもいい、選べ。」

「は?」

「1ヶ月随分無理させたからな。打ち上げだ。」

「・・・本当ですか?」

「あぁ。」

煙草を吸いながらこっちを見ている視線はまっすぐで、昼食にも疎いこの上司が気を使ってくれるのが嬉しかった。

「それじゃぁ・・・和食で。」

「ほぉ・・・洋食じゃなくていいのか。」

「だって三蔵さん、和食の方が好きでしょ?」

「自分の好きな食い物も分からんのか、お前は。」

「・・・気、使ってるのに。」

「余計なお世話だ・・・ほら、最後だ。何が食いたい。」

口が悪くて、態度も横柄で、能力以上の仕事を無理矢理でもやらせて・・・でも気遣いは他の誰よりもしてくれる、優しい上司。

「それじゃぁイタリア料理のいっちばん高いコースで。」
「よし分かった、居酒屋だな。」

「違う!」

楽しそうに口の端をあげて笑う三蔵さんに突っ込む部下って・・・いるのかな?
花喃さんがそんな事するようには思えないし・・・。

「ま、お前が定時までに集計と引継書を完璧に仕上げたら考えてやってもいいぞ。」

・・・この挑戦的な上司のおかげであたしがこの1ヵ月間、どれだけ仕事が早くなった事か。
それでもこの人の事は嫌いじゃない。
仕事の仕方も、部下の面倒の見方も・・・尊敬している、と言ってもいいかもしれない。
それなら最後に使える部下だったと思われたい。

あたしは携帯電話をカバンの中にしまい、髪をまとめると三蔵さんに指を突きつけた。

「三蔵さん!昼休みにお金おろしておいて下さいね!」










「・・・あのぉ〜、本当にいいんですか?」

「何度目だ、てめぇは。」





宣言どおり時間内に頼まれた集計と引継書を作り、尚且つこの1ヵ月間にあった事由をまとめた書類を三蔵さんに提出した。
それを見た三蔵さんは今まで見た事がないくらい満足そうな顔をして、無言で部屋にかけられている時計を指差した。

「30分後に1階のロビーに来い。約束どおり奢ってやる。」

てっきり居酒屋に行くと思ったんだけど、向かった先はOLの給料じゃ入れなそうな高そうなお店。店先で立ち止まって三蔵さんに確認したら「ほぉ・・・ここじゃ不満か?」って言われて、思わず首を振ったらそのまま腕を掴まれて中に引きずり込まれた。
そうでもしなきゃあたしはず〜っと足が固まって動けなかったかもしれない。
それからもメニューを見て、値段を見て本当の本当に奢りでいいのか確認してたら終いにはあたしの手持ちでは払えなそうなワインを三蔵さんが注文してお手上げとなった。

「これでもまだワリカンにするか?」

「・・・ご、ご馳走になります。」

最後の最後まで性格悪い・・・この上司。





本来ならば終始気を使わなきゃいけない相手だけど、こうして普通に話が出来るのは凄く気が楽で・・・実際仕事をするのも楽しかった。
自分の意見を聞いてくれるし、それに対してちゃんと正面から意見をくれるっていうのもあるよね。
運ばれてくる前菜と、ちょっと高めのワインを飲みながら今までしてきた仕事を振り返っていたら急に三蔵さんが声をかけてきた。

「随分忙しかったが・・・体は平気だったか。」

「はい?」

「残業も増えたし・・・予定も狂ったろう。何か不都合な事はなかったか。」

「・・・三蔵さん、ひょっとして気遣ってくれてます?」

「ひょっとしなくても・・・だ。」

「わぁ〜明日、雨が・・・」

言いかけた冗談は三蔵さんの真っ直ぐな視線と言葉に遮られた。

「ここ一週間、ヒマさえありゃ時計と電話を交互に眺め、ついたため息は呼吸と同数。そこまでされりゃ関係ない俺でも何かあったのかと感づくだろうが。」

「すみませ・・・」

「楽になるなら聞いてやるぞ。」

「え?」

思わず顔を上げるとワインを差し出された。

「シラフで話せないのなら多少飲ませてやる。それとも聞かない方が・・・いいか?」

あぁどうしてこの人は、この時にそんな台詞を言うんだろう。
そういえば仕事の時もそうだったけ・・・絶妙のタイミングで仕事をくれたり言葉をかけてくれたりしてあたしを驚かせた。

「・・・泣くな。俺が泣かせたみたいだろうが。」

「三蔵さんの・・・せいじゃないですか。」

慌ててバッグからハンカチを取り出して目元を拭い、ここ数日不安だった事を三蔵さんに話してみた。
笑われるって思っていたのに、三蔵さんは意外にも真面目に聞いてくれた。
ポツリポツリと話している間に料理が出され、三蔵さんに促されるまま口に運ぶ。

「だから、嫌われちゃったのかと思って・・・」

「相手にそう言われたのか?」

「いいえ・・・でも連絡が取れなくて・・・」

「ふん、言われてもいない事に悩んでどうする。」

「女の子は不安なんですよ。」

「・・・女の子?てめぇがか?」

「そうですよ。」

間髪いれずに頷いたら三蔵さんが楽しそうに笑い出した。
何がそんなにおかしいんだろう?

「てめぇ相手じゃその男も随分苦労するだろうな。」

「は?」

「いいか、相手に何も言われないうちに変な事考えるんじゃねぇ。マイナスの考えを持ってるとそっちに引きずられるからな。特に男女の色恋はそうだ。」

「三蔵さんも苦労・・・したんですか?」

「さぁな。」



・・・今度花喃さんに聞いてみようかな、三蔵さんの恋愛話。



「今まではお前も忙しくて連絡が取れなかっただろう。だがこれからは少し時間が作れる。もう一度ちゃんと話してみろ。そして相手の真意を確かめてみるんだな。」

「・・・はい。」

「スッキリしたなら食え。こんなコース頼ませたんだ・・・残したら承知しねぇぞ。」

「残しませんよ!次にいつ食べれるかわかりませんから!!」

目の前のちょっと冷めかけたメインディッシュにフォークを突き刺す。
さっきまで飲み込むのが辛かったはずなのに・・・三蔵さんに話したら凄くラクに食べられるようになった。

「・・・俺だったらこんな食い意地のはった女お断りだな。」

「あたしだってこんな口の悪い彼氏はお断りです。」

目を合わせそういい切ると、同時にふき出した。
ホンの少しでもこの人の下で働けてよかった・・・今本当にそう思う。










「・・・普通追加でデザート頼むか?」

「三蔵さんが食うか?って聞くからですよ。ご馳走様でした。」

「ちっ。」

支払いをする三蔵さんを残して先に外に出ると綺麗な星空が広がっていた。
明日はお休みだし・・・もう一度悟浄さんの家に行ってみようかな。
それから今度のお休みまた公園に行きましょうって誘ってみよう。

。」

「は、はい!」

突然名前を呼ばれて振り向くと、三蔵さんが笑顔で手を差し出していた。

「短い間だったが随分助かった。機会があればまた来い。」

「あた・・・私の方こそ短い間ですがお世話になりました。三蔵さんの下で働き学んだ事は今後に活かして行きたいと思います。私の方こそまた何かありましたらお声かけて下さい。」

「あぁ。」

「色々とありがとうございました。」

ぺこりと頭を下げてしっかり握った手は、悟浄さんとは違う・・・男の人の手だった。










この時不意に初めて悟浄さんと手をつないだ時の事を思い出した。





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