34.届く声
「はっかぁ〜い、行ってきたぜ。」
「ご苦労様です。それじゃぁそっちの資料、片付けて下さいね?」
たった今、厄介な相手との営業が終わって戻ってきたら・・・何処から掘り出してきたのか大量の本と紙と辞書とファイルが山となってオレの机に積まれていた。
「・・・ってコレ全部?何処に隠してたんだよ。」
上司であり雇い主でもある八戒はオレの非難の声を聞いてもパソコンから目を離さない。
まぁ〜た何かやっかいなプログラム組んでやがるな。
ため息をついて、のろのろとネクタイを緩めたり上着を椅子にかけたりしていたらオレの背に八戒の声が刺さった。
「早くしないと今日中に終わりませんよ。」
「一本くらい吸わせろ!」
「・・・タバコはベランダで、という約束ですよね?」
パソコンの手を止め、笑顔でオレを見て外を指差す八戒。
ベランダと言ってもこの家のベランダには花喃さんが育てている花が並べられていて、さっすがのオレもあの人が大切に育ててる花にヤニの匂いをつける気にはならない。
・・・それを分かってて言ってやがるんだ、コイツは!
「ンじゃコーヒーくらい飲ませろ。」
「あ、僕砂糖いりませんから。」
「・・・リョーカイ。」
ため息をつきながら八戒の机に置いてあった空のマグカップを持って階下に降りていく。
今じゃ慣れ親しんだ八戒ン家の台所。
――― オレは今、八戒の下で働いている。
八戒から貰う給料の中から三食分の食費と積み立て貯金を差し引いた額を手渡しで貰う。
キチンとした食生活を送るコトをしていなかったオレは、八戒と三食食べるコトをここで働くコトの条件とされた。
それと毎月の積立貯金。今までその日暮らしの生活をしていたオレに余分な金はなく、なくなればまたバイトと言う生活をしていた所為だ。
「貯金もなく女性と付き合おうだなんて・・・馬鹿ですか?生活設計の正しい立て方から教えてさしあげますよ。」
と言う心温まるお言葉と共に現在オレの給料は半ば八戒に握られている。
月々渡される給料は・・・必要経費(家賃、光熱費など)以外自由に使える額は人には言えない金額だ。
ケド、文句を言いながらも面倒を見てくれる八戒のおかげで自分でも驚くほど体調は良くなり、数ヶ月前までは4桁をさ迷っていたオレの貯金もいつの間にか6桁の大台を超えようとしていた。
「・・・八戒サマサマ、ってな。」
コーヒーを入れる為のお湯が沸くまで、テーブルに寄りかかりながら・・・携帯電話を開いて眺める。待ち受け画面にあるのは・・・自分でも馬鹿だと思えるほど顔を赤くして彼女を抱きしめている、オレ。
「ガキだったな、オレも。」
チャンと別れてから、暫くは家から一歩も出ない生活をしていた。
外に出て、どこかで彼女とばったり会うのが・・・怖かった。
彼女に会えば自分がナニをしでかすのか分からない、一緒にいるヤツにナニをしてしまうか分からない。
だから・・・外との接触を避けた。
一週間ほど経って、八戒のヤツがオレの家にやって来た。
「見事な引き篭もりっぷりですね。」
「・・・お褒めの言葉ドーモ。」
「どうせまともな食事なんてしていないんでしょう?出張サービスに来て上げましたよ。」
そう言って途中のスーパーで買ってきたらしい食材をオレの前に差し出した。
今はほっといてくれ・・・とオレが言うより先に、八戒のヤツが部屋を覗き込み呆れた声をあげた。
「あー・・・またゴミだし忘れたんですね。ちょっと片付けますから少し外に出て下さい!」
「お、おい・・・」
オレが八戒の手を止める前に・・・いとも簡単に外に放り出されてしまった。
ってオイ、オレこの格好でどうしろってのよ。
ジーンズに上半身裸、足元は履きつぶしたスニーカー。
くわえ煙草にボサボサの髪・・・のびっぱなしのヒゲ。
しかも財布もバイクのキーも部屋ん中。
「・・・動くなってコトかぁ?」
仕方なく家の扉を背に座り込んでぼーっと空を眺める。
太陽が・・・眩しいな。直にこーして太陽見たの、何時だっけ?
最近ずっと曇り空だったけど・・・今日はやけに空が青いな。
青空を見ると、あの日を思い出す。
初めてチャンに誘われて出掛けた・・・公園。
そして初めて食った彼女の手料理、オレが食べてるのを見て嬉しそうに笑う笑顔は目を閉じれば今でも脳裏に浮かんでくる。
「カーワイかったよなぁ〜・・・」
彼女には青空の下での笑顔が似合う・・・泣き顔は、似合わない。
記憶の中の彼女の姿を消そうと首を振って口にくわえていた煙草を指に持ち替えた瞬間、勢い良く背中の扉が開いて危うくオレは地面にキスする所だった。
「悟浄、片付きましたよ・・・って何してるんですか?」
「オマエが急に扉開けるからこうなったんだろうが!」
「何度も声かけましたよ。ほら、早く入ってください。そんな格好で外にいると警察に通報されちゃいますよ?」
・・・もしもぉ〜し、そんなオレを外にホッポリ出したのは誰よ?
でも一瞬それもイイかも・・・と考えた自分に反吐が出る。
そこは一番彼女に会うコトが無い場所だと、そう思っちまったから・・・
「悟浄、何時までも地面とお見合いしてないで早く入ってください。」
「・・・あぁ。」
八戒に肩を叩かれて立ち上がると急に目の前の地面が歪んで倒れそうになり、すかさず手を伸ばしてくれた八戒のおかげでオレはなんとかぶっ倒れずにすんだ。
「食事、とってるんですか?」
「・・・」
「歩けます?」
「・・・ワリィ。」
歩こうとしても視界が回ってマトモに歩けそうも無い。
八戒の肩を借りて部屋に入ると、ゴミはまとめられ散らばっていた衣類も無くなっている。
毎っ回思うけど、コイツあの僅かな時間でどうやって片付けてんだこの部屋?
「そんな状態じゃこれくらいしか食べられませんね。」
何処にあったか知らないが小さな折りたたみ式のテーブルに置かれたのは・・・おかゆ。
「・・・」
「他にも精のつくもの色々用意したんですが、そんな状態じゃおかゆぐらいしか勧められませんよ。」
・・・温かいメシ、目の前に人のいる食事。
それだけでオレの心に彼女の姿が浮かんでくる。
「1つでも悟浄さんが気に入ってくれるといいな・・・って思ったらこんなになっちゃいました。」
はにかむような笑顔で、シートいっぱいに広げられた手料理。
そうだ・・・だからオレは、外に食事に出ず・・・誰にも連絡をしなかったんだ。
誰かと食事をすると、彼女を思い出してしまうから・・・まだ彼女のコトが好きだと気付いてしまうから・・・
「悟浄?」
「・・・ワリィ八戒。まだオレは・・・食えねェ。」
「は?」
「このメシを食っちゃいけねェんだ。」
「何を言ってるんです、悟浄?」
「ワリィ・・・」
器を八戒の方へ押しやり頭を下げる。
八戒の気持ちは嬉しいケド、今のオレに誰かの手料理を食う資格は・・・ない。
小さなため息のあと皿を下げる音が聞こえ、少し胸が痛んだ。
だけどそんなオレの耳に次に聞こえた声は・・・背筋が一瞬寒くなるような冷たい声だった。
「・・・すみません、ちょっと痛いかもしれませんよ。」
「・・・!」
その言葉に顔を上げた瞬間、オレの体はベッドに吹っ飛び勢い良く背中をぶつけた。
「がはっ!」
「おや?随分体が軽くなりましたね。僕程度に殴られてそんなに飛ぶとは思いませんでしたよ。」
「てめっ・・・げほっ・・・一体・・・」
しっかりみぞおちに入った所為で上手く呼吸が出来ず、途切れ途切れ言葉を紡げば・・・滅多に穏やかな表情を崩さない八戒が、怒りの表情を見せた。
「いつまでそんなにウジウジしてるんです貴方は!!」
「はっか・・・」
「貴方が自分で決めた事でしょう?彼女と別れると!」
「・・・」
「ない脳みそ使って考えて、それで出た結論を実行して・・・今更何を後悔してるんです!!」
・・・後悔なんざ、してないさ。
オレといるよりも・・・他のヤツといる方が彼女は幸せだ。
職もない、金もない、貯金もない・・・何もない。あるのはこの体だけ・・・。
「・・・そういえば前に言っていましたよね?貴方の自慢はこの体だと・・・」
オレの考えを読まれたのかと思ってゆっくり顔を上げれば、八戒が冷たい視線でオレを見下ろしていた。
「何が自慢です、こんな体。」
「・・・ンだと?」
「僕なんかに殴られて吹っ飛ぶそんな体の何処が自慢なんですか!!」
頭をハンマーで殴られたような衝撃が襲った。
確かに・・・そうだ。今のオレの体は、ちょっと外に出てしゃがみ込み・・・立ち上がるだけで眩暈がする。
八戒の拳がいくらみぞおちにはまったからといえ、こんなに吹っ飛ぶなんてコト以前なら考えられない。
何が・・・何がオレをこんなにしちまったんだ?
視線を八戒から反らし、自分の手をじっと見つめる。
微かに震える手・・・ぎゅっと握る力も以前とは比べ物にならないくらい弱い。
初めて今の自分の状況に気付いて呆然としているオレの肩を・・・八戒が掴んだ。
「顔を上げてください。」
「・・・」
「悟浄!」
力強い声に引っ張り上げられるように顔を上げると・・・どした、八戒?
お前なんでそんな・・・泣きそうなツラ、してんだよ。
「どうしちゃったんです・・・悟浄・・・」
「・・・」
「僕はそんなに頼りになりませんか?」
「・・・へ?」
「確かに、貴方の他のお友達と違って僕は・・・真面目すぎるかもしれません。でもこんな風になる前にどうして僕を呼ばなかったんです!!」
「八戒・・・」
「貴方が何も言わなければ・・・分からないんですよ、悟浄。」
「・・・」
肩を掴んでいる八戒の手が、微かに震えている。
「人の考えを予測する事は容易くても、それが本心かどうかは本人に聞かないと分からないんです。」
「・・・」
「今の貴方を僕はほおっておけません。キチンとした食事をさせて、体調を整えて・・・生活の為の仕事をさせて・・・せめて普段どおりの生活が出来るまで手助けをしたいと思っています。」
何かが・・・胸から溢れてくる。
「でもそれには貴方の意思を確認しなければいけません。貴方が何をしたいのか、何を思っているのか・・・」
コイツはただの友達だと思っていた。
複数いる友人の中でやたら真面目で、いつも母親みたいに説教したり口うるさく言ったり・・・でもそれはいつも正論で、例えオレが納得しなくても最後まで付き合って話を聞いてくれた。
「今すぐ、と言うわけじゃありません。でも・・・せめて貴方が今何を考えているか・・・教えてくれませんか?」
押し付けがましいと思っていた、八戒のこういう所が。
・・・ケド、やっぱりコイツの言ってるコトは正論だ。
かもしれない、きっとそうだろう・・・憶測でオレは今まで全てを決め付けて来たんじゃないか?
彼女がオレといて幸せになれない、他のヤツと一緒にいる方が幸せになれる・・・そんな確信何処にあった?
いや、何処にもない。
オレが勝手に・・・思い込んでいただけ。
震える手を口元に当て、彼女が別れる時に名前を呼んでくれたコトを思い出した。
「もう知り合いだろ?お互い名乗ったし、悟浄って呼ばれた方がオレも嬉しいしv」
「・・・慣れるまで悟浄さんじゃダメですか?」
キチンと正面から話をした時、彼女は確かにそう言っていた。
それから彼女は一度もオレを・・・名前で呼んでいない。
言葉の通り「慣れていない」と思っていたけど、ひょっとしてオレと同じ気持ちだったのか?
――― ずっと大切に温めていた、名前
「・・・悟浄?」
「・・・」
「悟浄」
「・・・っ」
ゆっくり視線をあげれば、先程までの怒りの表情はなんだったのかと思えるほど穏やかな顔をした八戒がいた。
コイツは・・・聞いてくれるだろうか。
今から話す馬鹿みたいな話を聞いて・・・相談に乗ってくれるだろうか。
「花喃は今日、友達の家に泊まりに行っているので・・・時間はあります。」
聞いて・・・くれるのか。
何も言わなくともそう言ってくれた八戒の気持ちが、死ぬほど嬉しかった。
不意に目頭が熱くなって慌てて手の甲で目元を拭う。
何も言わずタオルを差し出して立ち上がった八戒に、声をかける。
「・・・話、なげェぞ。」
「構いません。」
「でもその前に・・・メシ、食わせてくれないか。」
「えぇ・・・僕も一緒に頂きます。」
それから一晩かけてオレは今まで誰にも話さなかった自分の過去や、チャンに対しての想いを・・・八戒に告げた。
八戒は途中一度もオレから目を反らすコト無く、真面目に話を聞いてくれた。
「悟浄!ヤカン!!」
「へ?」
八戒の声に我に返ると、ヤカンがピーピー音を立ててフタをガタガタ震わせていた。
やっべ!考え事してて火にかけたのすっかり忘れてた!!
慌てて火を止めると、二階から降りてきた上司兼最強のオトコの方をゆっくり振り返った。
「・・・コーヒーいかがっすか?」
あーまた仕事が増えるな、とも思ったが予想に反して八戒は笑みを浮かべ目の前のイスを引き出すとそこへ座った。
「・・・また何か考え事でも?」
ホントどーしてコイツは人の顔みただけで分かるんだ?
マジで千里眼でも持ってるんじゃねェだろうな?
「貴方は顔に全部出るんですよ。」
・・・ぜってー持ってやがる、千里眼。
取り敢えずインスタントコーヒーを入れて八戒の前におくと、オレも椅子に座った。
「・・・お前に殴られた時のコト思い出してた。」
「あぁ、ボロ雑巾だった頃の。」
「ボロ雑巾。」
物の例え悪すぎだろ!
あーまー確かにぼろぼろだったから間違っちゃいねェケド・・・にしても他に言い方ってあるだろうが!
「言い過ぎでない?」
「これ以上の例えはないと思いますが?」
大抵の人間が騙される綺麗な笑みでコーヒーをひとくち飲む。
この笑顔に騙されるとあとで酷い目にあうんだよな。
これ以上口を開けば自分の首を絞めるだけだと判断し、大人しくコーヒーを飲んでいると八戒がふとカレンダーを見て思い出したようにあるコトを口に出した。
「そういえばこの間の試験、どうでした?」
「ん?・・・あぁ、多分平気だと思うぜ。」
「まぁそうですね、僕が教えたんですから。」
「・・・スパルタ教育ありがとうございました。」
「どう致しまして。」
嫌味で言ったのに、コイツ・・・笑顔で受け取りやがった。
「出来が悪く飲み込みの悪い生徒でとぉっても苦労しましたからねv」
・・・しかも倍返しならぬ3倍返しかよ!
それでも八戒には感謝しても感謝しきれない。
ここまで体調が回復し、仕事を貰い貯金を溜め、前向きな気持ちで生活できるようになれたのは完全に八戒のおかげだからな。
「ま、試験に合格すればより重要な仕事が任せられますし・・・給料も格段に上がりますよ。」
「本当か!?」
思わず立ち上がると八戒は顔色ひとつ変えずにこう言った。
「受かれば、ですよ。」
・・・カミサマ、オレに与えられた友人はコイツしかいないんでしょうか?
一度は誤って断ち切ってしまった ――― 想い
自分に自信が持てず、勝手に空回りして断ち切ってしまった ――― 絆
それを修復するのは難しいかもしンねェけど、今度は間違えない。
心を開くコトは難しいケド彼女の声を聞く為なら、どんなに傷ついても構わない。
今度はキチンと、声を、想いを・・・受け止め ――― 伝えたい。
今はただあの日、が呼んでくれた名前に込められた想いを・・・確かめたい。
願わくば・・・